Swedenborg's CLAIM
by Frank S. Rose

主の再臨についての独特な主張

 主は戻られる、という信仰が多くの者に衰えてしまったほど、それほど主の再臨は長らく待たれています。キリスト教徒たちは、主が目に見える天と人の住む地を滅ぼし、物質的な空の雲の中に人間として、だれにも公然とご自分を現わされること期待していました。しかしスヴェーデンボリは、「主は肉体的な視覚にではなく、人々の心の中に現われる」べきものであることを示しました。彼は亡くなる2年前の1770年に次のように書いています――

 「主の再臨は、主がご自分を現わされた人物によってなされます。そして、その者がご自分のみことばを通して新しい教会の教義を教えることができるように、その者にご自分の霊を満たされます

 スヴェーデンボリはさらに、主は「霊の目が開らかれた人」以外のだれにもご自分を人間として現わされることはない、と説明し、さらに続けています――「主はご自分が戻られ、新しいエルサレムである新しい教会を設立されると予言されているので、ここから、主はそれらの教義を自分の理解力で受け入れるだけでなく、出版によって公にできる者によってこのことをなされることが言えます。主はご自身をそのしもべである私の前に現わされ、また私にその任務を負わせ、その後、私の霊の目を開かれ、こうして私は霊界に入れられ、天界と地獄を見、そこの天使や霊たちと会話することが授けられました。そしてこのことが今や、何年間も続き、また私が呼ばれた最初の日から、私は、その教会の教義に関して、天使からは何も受け取らないで、私がみことばを読んでいる間に、主おひとりから受け取ったことを、私は真実をもって断言します(『真のキリスト教』779番)

 この主張は独特です。他にも、主の再臨を宣告した者や、また神的な霊感を受けて書いたと主張する者もいました。しかし、スヴェーデンボリの場合は異なっています。再臨とは人々に新しい教義が与えられることであると説明しています。彼は新しい教会を起こそうとはしませんでした。主が自分に霊感を与えられ、書いて出版するよう命じられた本によって、主は新しい教会を起こすことを望んでおられると知っていたからです。この理由やまた他の多くの理由から、彼は、他の人物と、キリスト教徒であろうとなかろうと、新しい宗教と結び付けられる者たちと比較できません。むしろ彼は、新たなモーセ、イザヤ、マタイでした。

 スヴェーデンボリは、18世紀のヨーロッパで最も学問があり、また大いに尊敬された人々の一人でしたが、そのこともこの主張の著しい特徴です。もし、そうでなかったなら、これらすべては、愚か者または狂人の妄想として捨てられていたかもしれません。彼は大学教育を受け、スウェーデン鉱山協会での長い職務とスウェーデン国会の貴族院議員の経歴を持つ人物でした。広くヨーロッパを旅行し、有名な人物からも親しく知られ、高く評価されていました。数学、鉱山学、宇宙論、心理学、哲学で才気あふれる著作を出版し、誠実で正直な人物として広く認められていました。世へ向けては、再臨の主が啓示される新しい教義を公表するために、自分が委任されたことを静かに述べたのでした!

 スヴェーデンボリは57歳の時に召命を受けました。その時まで、彼は神学を学んだことも、教義上のどんな分野の論争にも加わったことはありません。彼は召命によって神学者となったのです。この新しい役立ちのためにペンを取る前、彼は聖書を原語で精力的に研究しました。彼の霊の目は、死後の世界を生々しく経験できるようにと開かれます。外国へ長い旅をしたという事実以外に、最初はだれも、なぜ彼が以前の著作を断念したのか知りませんでした。彼の神学著作――『天界の秘義』『最後の審判』『天界と地獄』その他――は世界を驚かせましたが、しかし匿名で出版されたので、それらの著作をスウェーデンの科学者また哲学者であるスヴェーデンボリと結び付ける者はだれもいませんでした。11年後に、それらの本の著者が彼であること、また彼には霊界との交流が開かれていることが知られるようになります。彼をよく知っている者たちは、これらすべてに困惑しました。彼は正気かつ理性的で、以前のように釣り合いの取れた人だったからです、それでも彼は「主イエス・キリストのしもべ」と自称していました。

 彼を知っている者はだれも、彼が偽り、欺いている、と考えることはできませんでした。また彼が何かに欺かれている可能性があるとは考えられないほど、彼の精神能力は多くの者に認められていました。こうしたことは、彼の主張を信じる者に難問とはなりません。他の者にとって、その主張は、あまりに空想的に思え、投げ出して関わりたくないと感じるでしょう。それでもこの学問ある者の証言を、信心深い好人物の証言を、無視することはできません。ある者は奇跡を要求しました。そのことが問題に決着を付けるだろうと考えたのです。霊界にいると同時に自然界にもいることのできたスヴェーデンボリの能力は、まさに一種の奇跡でしたが、しかし彼はこの能力さえ証明することを拒みました。彼はそうしたことをしても役立たないと知っていたからです。この新しい教義を受け入れる者に、さらなる証明は必要ありません。否定する者は、彼が奇跡を行なってみせても信じないでしょう。

 彼は、信じない者に奇跡を行なってみせようとは望まず、自分の書物の中の真理を信じることを望んだのです。