8 Proofs of a Deluge

第8章 洪水の証明

 フェレデリックスハルの塹壕で標的を王に見出だした弾丸は,文章の終わりに打つ終止符に似ている。それはスウェーデンの歴史上,グスターヴ・アドルフスが大陸で“三十年戦争”に戦勝したときに始まる,いわゆる「大時代」の終わりであった。カール十二世がその頭に戴いた王冠は,王をスウェーデンだけでなく,フィンランド・インゲルマンランド(イングリア)★1・エストニア・リッフランド(リボニア)★1・ポンメルン〔ポメラニア〕・ヴィスマル★2・ブレーメン・シュチェチン★3・ヴェルデン★1の支配者とし,その行為については神のみの責任とした。

 しかし,神の摂理はその関心をスウェーデンの偉大さを推進させることだけにとどめなかった。ロシアもまたバルト海での覇権を主張し,そこで,大きな責任がただの少年〔カール十二世〕に帰せられ,彼によって英雄的な決意で守られたが,最後にはその人民を破滅の寸前にまで追いやった。「大時代」はまた絶対主義と専制の時代でもあったので,これが終わったとき人々は,これに似たものはもう二度と決して存在させまいと決意した。自治の思想は古い時代からスウェーデンに深く根差していたが,それがいまや強い主張となって再び開花した。国王の権力を思い切って変える機会がやってきた。カール十二世の後の王位継承権は少しも明確でなく,その決定は人民の手に与えられたからである。

 カール王の4人の兄弟はすべて幼くして死んでおり,彼の二人の姉妹は,妹だけがまだ生きていた。しかし,姉は子を残した――こうして息子が王位をねらう者となった。貴族院に継承権を決定するための国会が招集され,妹のウルリーカ・エレオノーラを合法的な主君として,しかし,必ずその君主は絶対的支配のすべての要求を放棄する書類に署名するとの条件で,受け入れることが合意された。これをウルリーカは承諾し,いわば,主君たる統治権の一部を対価として,継承の権利を買ったのであり,一筆の署名で,スウェーデンを立憲君主国としたのである。

 スウェーデンの「自由の時代」と呼ばれる,文化の大きく発展した時期はこうして始まった――スヴェーデンボリの円熟期も含まれている。次の100年間,行政での改革運動は国会での主要問題となった。当時,国内問題を解決し,国民の義務を回復する仕事に,深刻に直面していた。国民はあまりにも長くその道徳的持久力を剥奪され,これを大きく低下させていた。国土を失ったが,これはスウェーデンの利益もなくなることであった。

 議会は,今後,絶対主義を導入しようとするいかなる支配者も王冠を失うという法律を可決した。ウルリーカ・エレオノーラ女王は評議会の助力により王国を治めると約束し,権力は女王陛下と評議会と国会に分割され,国会は四つの階級から構成された――貴族,聖職者,市民,農民である。国会は,法律を作り,評議員を任命する権利を保有したが,しかし,三年毎に開かれるだけであり,実際には,権力はその主要な階級である貴族院にあった。

 国の足取りをしっかりさせ,なんらかの進歩をさせようとするなら,その前に,通貨問題が改善されねばならなかった。戦費を調達するため,イェルツの仲間らはインフレをもたらし,それで,国民も外国人も商売するとき,通貨に価値を置けなかった。国王の金銭の要求に対するイェルツの解決法は,100万個の銅貨を鋳造し,単に「銀1ダーラー」と刻印し,これを市場で銀「ダーラー」として受け入れさせるというものだった。これらの代用硬貨(トークン)は奇妙な名前を生み出した。最初のものは「王冠」,それから「プーブリカ・フィデ」★4が起こり,それから「機転と武器」,最後には「希望」の通貨と呼ばれた。それらの数は4,200万に増大し,すべての正貨はしだいに引っ込み,“ネーデミント”すなわち“緊急通貨”に変った。

 このことは国の商業を麻痺させていた。それで,どのように代用硬貨を取り戻し,通貨の健全な基盤を築くか,が当時の火急の課題であった。通貨について国会の秘密委員会に提出された計画案の一つは,われらのスヴェーデンボリによるものであった。それは行く手を遮るどんな障害にも正面から取り組む若き監査官らしいものだった。この時の障害は運河の仕事の中断だった。そこで働く人々は緊急通貨を受け取ることを拒否したのである。

 彼は,「自分のトークンの全額を望む者は25年の分割払いで,その一方,25ないし75%の損失をしてもよい者は10年ないし2年で,トークンを正貨と引き換えられる」と提案した。匿名ではあったが,彼の提案は提出された中で最善なものの一つと考えられた[87脚注*]

 ウルリーカ・エレオノーラがウプサラの聖堂で王冠を戴いた3月17日の春風は,新しい,さわやかな,希望に満ちたものだった。エマヌエル・スヴェーデンボリは,前に進み出て,膝を曲げ,新しい君主に敬意を払う階級から欠けていなかった。彼は最近の学術上の労作を携えて来て,その優雅に戴冠式の日の女王へ捧げた。それは「原始時代の世界における水位と強い潮流」[88]という題の地質学(当時この言葉はなかった)の論文であった――

 神への私の熱い祈りは,今日の王冠がすべての者の楽しさと喜びの中に,堅くとこしえに,天空の星の冠のように,神の栄光,女王陛下の朽ちることない誉れ,あなたの臣民にとってとこしえの喜び,学芸の活力と繁栄の輝きとなって,女王陛下の頭に置かれることです。

 続いて1719年5月23日に,スヴェードベリ一家は貴族に叙せられた。論文を捧げたからではなく,すべての司教の家族には貴族が授けられる習わしだったからである。同時に,新しい女王は,148 人の臣下を貴族階級に昇進させ,こうして,農民階級との闘争上,さらに一段と貴族階級の力を強めた。“スヴェードベリ”の名前はいまや“スヴェーデンボリ”に変わり,エマヌエルは貴族院に,贅沢とはほど遠いけれども,柔らかなクッションの席を得た。その後,スヴェーデンボリ家の紋章が銅版の上に油彩され,かの議会の美しい広間に掛けられた[89]

 ウルリーカ女王は,一人で国を支配する特権を1年余り享受した後,彼女の夫を支持して退位した。女王の夫であるヘッセン★5の君主は,このとき全体の承諾によって,フレデリク1世としてスウェーデンの王位に上った。この交替の理由の一つはロシアとの不和から国を導き出す有能な手腕を持った者が必要とされたからであった。1719年の夏の間,長らく予想されていた沿岸への本格的な攻撃がなされた。30の軍艦と150のガレー船の艦隊で,ロシアはスウェーデン沿岸の町々を侵略し,次から次へと美しい屋敷を略奪し,焼き払い,灰じんに帰した。8月13日の夜には,大胆にもストックホルムにすら攻撃を加えたが,難なく追い払われた。2年後,イギリスの調停により平和が回復された。

 女王たちは捧げられた本をめったに読まなかったであろう。ウルリーカ・エレオノーラ女王は,はたして「過去スウェーデンは水で覆われていたことを証明する」スヴェーデンボリの『水位』を読んだであろうか。いずれにせよ,女王は,その手にしたものが自分の支配している地を地質学的に説明する最初の試みである,とはわからなかったであろう。スウェーデンは,ある場所では光沢あるみかげ石が,他の場所では砂岩,粘板岩と石灰の折り重なる層が交互に規則的に続く,きわめて興味をそそられる地形をしていた。多くの湖と隆起のある地であった。この論文の著者は,スウェーデンには大きな砂と砂利の隆起がほとんど正確に南北に平行して走っていて,その隆起の間に,さまざまな色の良質で種々雑多の粘土が点在し,層をなした砂の広い地域があることを最初に観察した者である,と女王は知ることはできなかった。そしておそらく,この論文の年若い著者は非凡な才能の科学者である,と悟ることもなかったろう。たとえば,彼は,平坦で開けている地方は別として,あたかも巨人がおもしろがって勝手気ままにそこに投げたかのように,あちこちに,ときには家の大きさの,石の巨大な塊があるのを観察している。これらの石は,それらの存在がどうしてなのかを説明する物語――昔,トロール★6は,あまりに多くの教会が建てられるのにいらいらして,それらに玉石をぶつけようとしたが,まったく成功しなかった――から,農夫たちによって“トロールカスト”と呼ばれたのだった。

 農夫たちにとって,岩の隆起の間にあって大麦とライ麦の作物を育てるのを邪魔するこれらの石は――何世代にもわたって収穫するかのように土壌からその石を掘り出し,先祖たちの大変な骨折り苦労によって垣根へと積み上げられ,玉石としての役割も加わったが――農業の敵に対する闘いの終わりのない記念物であった。しかし,スヴェーデンボリにとっては,同じ現象がそれらの解読を迫る非常に多くの象形文字であった。非常に多くの疑問の数々が彼の心にのしかかり始めた――それらすべての起源は何か? 世界はどのようにできたのか? はるか内陸に魚の化石が残っているのはなぜか? 人々の言うように,あたかも力強い手が巨人の大釜として切り取ったかのように,まさに正確に山腹に掘られている巨大な穴は何を意味するのか? 大きな塊が,もとはその一部であった何百マイルも離れた山から,何の力によって移動したのか?

 スヴェーデンボリはこの答えを論理的な推論と聖典の中に求めた。彼は,「砂と粘板岩の堆積層は水中で堆積し,その後固まって石になったに違いない。キンネクレ山で非常にたくさん発見した「昆虫」の化石を含む白亜質の地層は,かつて泥水であって,その中でその無数の小さな軟体動物たちは生き,死んだ」と推理した。

 太古の日々に,高所を島となして――そしてこれこそ『アトランティカ』の尊敬すべき著者のように「極楽島」★7である――地の大部分を覆ったに違いないノアの時代の世界的な洪水と,この恐るべき海は同一のものであった,というのが彼の結論であり,これは神のみことばには絶対に正しいことが述べられている,との仮定から彼に植え付けられた考えであった。これらの物事を〔神のみことばと〕調和させようと押し進める心は,スヴェーデンボリに特有のものだった。『水位』の中にはじめて,彼の成長してゆく知識に適するよう,彼の「決して放棄しないが常に変形させてゆく」方法が明らかに示されているのに出会う。その序文から引用しよう――

 神のみことばから,われわれははじめて,世界の四方位すべてを大洋のように覆い,乾いた地に存在したすべての生き物とともに,神の以前の創造の作品をすべて滅ぼした世界的な洪水についての知識を持つ。もし,ノアが水面を動き行く新しい機械を備えられなかったなら,地球上のいのちを持ったすべては,その洪水で滅んでしまったであろう……。この世界的な洪水が地球を覆ったことを否定する者はだれもいないが,しかし世俗的な知恵を持つ者はこの事実に満足しないで,この問題に一言付け加えたくなる。それゆえ,その者は洪水が残した物を調べ,そこから証明を集める。……これは神のみことばとその真理を裏付けるのに役立つと私が知っているように,心から私が主張し,説明したことが,他の人々によって同じ心から解釈されるだろう,との希望を私は心に抱くのである。……この問題に苦労した南方の国の思想家たちは,われわれ北方の思想家たちから,われわれ自身の所有するものより,さらに明確な証明と足跡を見出だすであろう[90]

 2年後に書かれた手紙の中で,スヴェーデンボリはこの言明を意味ありげに修正している。結局,これら無数の化石が堆積するのを説明するには一年では短かったのである![91]

 彼にとって,地の構造は,大洋がかつて陸地よりも途方もなく高い所に位置したことの明らかな証明であった。東西への干満の中で,潮流から引き起こされた動揺する水が砂利を山のような“うね”に積み上げ,こうして南北に真っ直ぐに走る砂利の隆起は強い潮流によって形成された,と彼は説明した。この美しく読みやすい小さな冊子の中で,スヴェーデンボリは,キンネクレ山を構成する砂岩と石灰岩の頂上にある固い石の層を見逃しはしないで,これもまた,水の中に堆積し,その後「みかげ石」に固まったものである,と説明した!

 しかし,海の底から全丘陵を積み上げるほど強かったそれらの潮流の理由として,前に述べられた論文『地球と惑星の運動と位置』に向かわねばなるまい。われわれはそこに,「以前,地球は現在よりももっと早く太陽の周りを回っていた。それで日や年は短かった。地球のさらに速い運動は当時の大洋の強い潮流の原因となり,これは非常に激しい力で海岸を切り刻み,こうして高い海岸が積み上げられた」という議論を発見する。

 昔のこの速い運動は,夏と冬の違いを平均化したので,地球を不断の春とし,世界中を真の楽園とした。こうして,以前のすべての国々は「黄金時代」と永遠の春の時を,人間と一緒に大地を歩き巡るフローラ★8,パーン★9,ポーモーナ★10,ウェヌス(ビーナス)★11といった陽気な神々や女神たちと楽しんだ。「あなたがたは,温度計を火の前で速く,また遅く,回転させ,すばやい回転が温度を平均化してしまう様子を観察することから,自分自身で証明できる!」と彼は言う。これはまた,メトシェラ★12や他の族長たちの大いなる年齢の説明となろう。彼らは私たちよりもそれほどにも長く生きたのではなく,彼らにとって単に太陽の周りの回転数が多かったのであり,同時に,彼らの年数も多くなったのである。

 この議論をその論理的結論へと最後まで追及するなら――スヴェーデンボリは常にあらゆるものをその論理的結論へと最後まで追及しようとした――日は次第に長くなり,惑星はその進路をゆるめ,その軌道を広げ,地球が太陽から次第に遠く離れて後退するともに,気候は次第に寒くなり,終(しま)いには,われわれの世界は寒さと暗さの恐怖のうちに,滅び,人類は完全に消滅するであろう。しかし,世界の終末について聖書の預言は,エルサレムの滅亡に言及しているのであろう――すなわち,ある時代の経過に言及しているのであろう,と彼は言っている。あなたがたの結論するものが何であっても,神の聖言と健全な理性に一致しなくてはならない。この論文はこうしてスヴェーデンボリの宇宙論の考察への一段階である。これはまた,神の聖言は完全に文字的に捕らえるべきでない,とのかすかな考えを示している。

 キンネクレ山の最下部の水平層は水の中に堆積したものである,とのスヴェーデンボリの結論は完全に正しかった。そのときの彼は,基盤のみかげ石に次する砂岩を調べていたが,その砂岩はすべての岩の中で最も古いシルル紀★13のものである,とは知る由もなかった。化石の研究はその揺籃期であり,彼は,粘板岩の堆積の中に発見した海の貝の化石の年代が,地球上に人類の出現する何百万年も前の古生代★14時代のものである,と知ることはできなかったのである。

 スヴェーデンボリの論文が出版〔1719年〕された150年後も,並行する隆起――人々は「豚の背中」★15と呼ぶ――は,丸い石と均質の岩屑(がんせつ) ★16と一緒に浜が隆起したものである,と依然として考えられている。それでわれわれはスヴェーデンボリの観察力と推理力を喜んで賞賛するままにし,彼が強い潮流に帰した現象は,内陸の氷河の底にある恐ろしい急流によって,その地方を莫大な氷冠 ★17で覆い,終点のモレーン★18で最も重い堆積物を積もらせたものであったことを彼が知らなかったからといって彼を非難するのを差し控えるのである。彼は,この氷河〔巨人にたとえている〕が,すばやく強力な流れによって歩き,ストレームスタットやトロルヘッタンに見られる巨大な鍋穴(ケトル)を切り出し,そしてその通った跡の野原に,漂石〔漂移性の玉石・迷子石〕をまき散らして,残すという力強い手を持っていることを知らなかった。スヴェーデンボリの研究がノルウェーのある地方にまで及んだなら,自分の見たものは水でなく氷で説明できるという考えが思い浮かんだかもしれず,そうして現代の氷河学の先鞭をつけたかもしれない。

 当時はまた,地殻の最も古い造形時期の目に見える記念物となっている,砂岩と粘板岩(スレート)の下に横たわる層に保存された輝緑岩と一緒にキンネクレ山を覆うトラップ★19が火山の噴火によって形成されたものであることも知られていなかった。スヴェーデンボリは,トラップの線が真っ直ぐで,輪郭が明らかな様子を認めて,これもまたかつて水が非常に高い水位にあった時に水中に堆積した堆積物である,結論した。そのときの彼のそうした鋭い観察ですら,いろいろな所に見られる粒の細かい粘土や泥は,第四紀★20の氷河期と氷河期後の時代の粘土であった,と推測することはできなかった。とけた陸氷★21はスウェーデンから中間の堆積物をきれいに洗い落とし,石炭質のものすべてと白亜質の堆積物の大部分を取り去って,バルト海に良質の土を堆積させた,すなわち,土を気前良く北ヨーロッパ大陸に撒き散らしたからである。陸氷がとけて後退した深い刻み目の方向から――この刻み目は戦士の顔の古傷のように古くから山の側面に切りつけられている――氷河の大運動を読み取り,雑多色の層をなした粘土の研究によって,年々の堆石を見分け,こうして完全な年代を確立することができたスウェーデンの地質学者によって,われわれの時代に語られるような氷河年代学の物語の中に,スヴェーデンボリはその関心を最もそそられたであろう。

 後世の科学者たちは実際に,スヴェーデンボリを地質学という独立した科学に直接の影響を及ぼした先駆者の一人と認めている。ナトホルスト教授の言葉の中に,「地質学の分野でスヴェーデンボリのなした貢献には,それらだけでも十分に尊敬すべき科学的名声を保証すべきほどの意義と展望があり,彼が最高位の天才的探求家であることを証明している。彼はその鋭い観察力をもって何も見逃さなかった」とある[92]

* * * * *

 これまで,スヴェーデンボリのなした貢献は物理学だけであったが,彼の心は人体の驚異を熟考することにも向けられていた。彼には,物理学と力学の法則は機械としての肉体にもあてはめることができる,との考えが強く刻み込まれていた。この考えはこの頃の日付の論文の中に見出だされる。〔後に〕『震動,すなわち,私たちの最も微(かす)かな性質についての解剖学』[93] の題名で,英訳が出版された。

 物理学から解剖学への変化は,連結する輪として,『ダエダルス・ヒュペルボレウス』の第6号[94]として提出した短い論文を考慮するなら,それほど飛躍したものではない。この予備的な論文は震動について九つの法則を定めている。第一の法則は,「どんな固い物でも,ほんのわずかな接触からでも,震動を作り出すことができる」。第二の法則は,「震動を伝える最良の媒介は,楽器の弦のように張られた薄膜である」。彼はこうして,人体の生命力が震動にあることを示すために物理学の法則を解剖学へ適用している。会話は弦の中の音のように震動以外の何ものでもなく,聞くことはこうした震動の集まりが薄膜を通って脳に流れ入ることにすぎず,同じことが他のすべての感覚でも真である。からだのどの部分に触れても,脳の膜である「硬膜」と「軟膜」に感覚が伝えられるが,これは腱と神経が脳膜の中に終結することからに関連して知られるであろう,これらはことごとく膜でできた織ったもので包まれているのである。

 もっと大きな著作『震動について』では,前の論文にあったような,震動は外側の感覚器官に始まって脳へ伝わると信じているといった印象はなくなり,今やそこでは,本質的に震動は身体の液体の中に最初に始まる,ということを指摘しようとしていることを除いて,スヴェーデンボリの同じ考えがさらに詳しく述べられている。

 1719年の終わりから1720年の初期の日付のいろいろな手紙から,われわれは,スヴェーデンボリの心の中に具体化してきたこれらの新しい概念に対する彼自身の考えを知ることができる。彼の論文は新たに結成されたウプサラ学術協会の会合で読まれ,学者たちはその概念に非常な興味を示したが,必ずしも賛成されたのではなかった,とわれわれは推測する。それでも彼はベンセリウスに,「私は彼らの批評を得たいと大いに願っています。その反対意見から,自分が正しい進路にいるか,あるいはさ迷える道に導かれているかを知るためにです」と告げている★22。彼の議論はきわめて単純である――“アニマル・スピリット”については,たくさんのごちゃまぜの学者ぶった言い回しや偽りの知識に代わって,幾何学が考慮されなければならない。「私は,学術協会の会員が子供っぽい偏見を捨て去り,論証には論証を配置し,証明と証明を比較して,どれが最も価値あるかを知るには十分なほど理性的は方々である,と思っています」[95]

 彼は,彼自身のものに似た考えが最初は他人によって口にされた――たとえば解剖学者ジョルジョ・バリーヴィ★23――ことを認めているが,しかし,自分の証明は新しく,独自のものである,と強く主張した。彼は常に,新しい発見や確かめられていない論拠を承認してもらうために,証明,証明,証明を受け入れてくれるよう申し立てている。実際には,彼は,大いなる新しい合理的な原理に注意を払うよう懇願していたのである。そして後になって,彼はこれを解剖学の著作で,詳細かつ入念に発展させることになったのである。スウェーデン語の原稿の翻訳者〔C・Th・オドナー〕は,「これらすべての壮大な哲学的な科学著作★24には,何年も前に『震動について』の著作の中で打たれた基音が振動している」と言っている[96]

 この著作はスウェーデンボルグの科学的信条を最初に表明したものなので,少々ではあるがその要約は興味深いであろう。第1章は次の主張で始まる――

 もし良識に相談し,良識をわれわれの案内人と認めるなら,われわれが生命の真の原因を深く,さらに深く,と探求するにつれて――われわれは,この原因は運動である,との最終的に結論に達せねばならない。……そこに生命の存在する運動はすべての運動のうちで最も微妙なものであり,より粗大などんな運動との比較によっても,知ることも理解もすることもできないといった性質のものである。

 スヴェーデンボリは,肉体のすべての部分は神経と器官によって結ばれている様子を示し,あらゆる感覚は,脳の中の特定の場所に閉じ込められていないで,神経系統の中にある震動であること積極的に証明する議論を持ち出した。彼は,いろいろな感情がからだの中の液体の循環に及ぼす効果を述べている。たとえば,恐れ――または衝撃と言ってもよい――は,血液を勢いよく心臓へ引き戻し,微小な血管を空にする原因となる。驚き,めまい,愛情や怒り効果は,生きた震動の増減によるとして,すべて個々に解析され,説明された

 震動の伝達に本質的なものは,楽器に,たとえば,太鼓に見られるように「張力」である。楽音は張力の増す度合いにしたがって,明確で鋭いものになる。からだの感覚器官も同じである。張力なしで,感覚はありえない。これは,新生児の骨はすべてが柔らかく,したがって新生児には少しも感覚はなく,さらに,その器官がゆるむようになる年齢〔老齢〕では,同じ度合いに,その感覚も鋭さを失うことからに示される。固い物質は張力を生み出すのに必要であり,これは,肉体の中の器官が骨に付着している理由になっている。

 楽器に適用されるすべての規則は,人体にもまた適用されるが,ここではっきりと人体は道具と見なされている――後にスヴェーデンボリによって詳述され,決して放棄されなかった基本的な考えである。彼の論点を説明するのに,彼がこの時,ラジオやレーダー,また同じような現代の機器を用いることができたなら,どれほどうまくいったことだろう! われわれは,まさにこの〔ラジオやレーダーから説明される〕論点が,後になって,自然の秘密をこじ開けるために捜したくさびになった,また霊的な経験の基盤となった,と知るであろう。

 その時分,スヴェーデンボリは,いろいろな著作をオランダかイギリスで出版するために,それらをラテン語に翻訳していた。彼の計画はついに定まった形をとった。彼は言っている,「もし運命が私に必要な資力を恵んでくれるなら,……私の心は,外国に出かけ,私の技術の中に私の運命を求めるという考えをもて遊ぶでしょう,その技術には鉱業と鉱業の発展に関するすべてのものが含まれます。……」

 彼にとって事態は,はかばかしく進まなかった。彼は不満を言い,そして,さ迷えるこじきのように,「だれかが戸を開け,パンを私の手に渡してくれるよう,これがだれかにわかるよう十分長く,歌った」。彼は外国へ行き,そこで幸運を求めることを考えた,彼は言う,「自由で独立した者,そして外国で名前を成した者は,馬鹿者と見なされる。ここでは,暗闇の中に,おまけに凍り付いた中に残され,そこに復讐の女神たち,嫉妬の神,プルートーン(冥界の神)は,その住家を持っていて,彼らがすべての報いに決着をつける。そこでは私のしたような労苦はみじめさをもって報われる」。無名に沈むことがまさに時分の喜びとなり,そしてそのとき,スタルボかその他の小さな人目につかない所に常に自分を見出だす時が来るだろう,と彼は思った。しかし,まだ彼にその準備はなかったし,それに加えて,「事を計るは人,事をなすは神」★25 なのだから,環境が彼の計画を変化させるかもしれない。それでまた彼は,「私は常に,目的を知っていること,日常生活で達成させるために最も実行可能な方向に沿ってよい計画を立てることを好んでいた」と再考した(ストックホルム,1719年12月1日)。しかし彼は,スウェーデンでは「そうしたすべての見解や技術は,多くの政治的まぬけどもによって,自分たちのものとされる手腕と陰謀を前面に押し出す一方で,はるか背後に止まらねばならない学者の事柄として評価され,無益なものとされた」と確信している[97]

脚注* また彼は,8進法に基づく通貨体系――銅貨16オーレは銀貨1オーレに等しく,銀8オーレは1銀マルクに等しく,8マルクは1リクス(ドル?),そして8リクスドルは1マルク・スターリングとする――に代わって10進法の適用を強く提唱した。


原注
87 『手紙と請願書』204-311ページ。参考文献省略。
88 スウェーデン語による原題名省略,1719年,ウプサラ。『科学,哲学論文集』17ページ以下に翻訳されている。
89 参考文献省略。二つの銀の鍵,黒い火山,金の獅子という特徴的な意匠(☆)は,そのアイディアを鉱山と司教職から得ている。
(訳注☆)スヴェーデンボリ協会(ロンドン)の出版物のおもての表紙にはこの紋が刻印されている。
90 『水位』,序文。原注88参照。
91 ジャコブ・ア・メル (☆) への手紙〔1721年5月21日,ストックホルム〕。彼は自著 『De Lapidebus Figuratis』 (石の形状について) を1720年にリューベックで出版し,その中でスヴェーデンボリの化石の遺物の説明に言及している。これはスヴェーデンボリの名前が学界へ現われた最初であった。
(訳注☆) Jacob a Melle;自由都市リューベックの,学問のある古物収集家・研究家であり博識家。
92 A・G・Nathorst「地質学者としてのエマヌエル・スヴェーデンボリ」,『スヴェーデンボリ科学著作集』第1巻の序文。
93 原題名省略。原稿はリンチェピンのディオセサン図書館にある。この論文の1-6,8 章だけが保存されている。C・Th・オドナーにより『震動について』 (ボストン,1899年) (☆)の題名で英訳されている。
(訳注☆)SSAが1976年に増刷している。本来の題名は『私たちの生きる力を構成する微かな振動,すなわち,震動について』。
94 Daedarus Hyperboreus,第6号,10-14。〔最終刊である〕
95 『ターフェル』T,314,310,注;318-19。
96 著作『震動について』の序文,原注93を参照。
97 ベンセリウスへの手紙,『手紙と請願書』224,215ページ。



訳注
★1 それぞれ,Ingermanland, Liffland, Werden。これらの地名の土地がどこにあるか訳者は知らない。ご教示ください。
★2 東ドイツ北西部の,バルト海の入江に臨む港市。人口6万。
★3 ポーランド北西部オーデル河口近くの都市。人口39万。
★4 ラテン語で「国の信頼すべき物(貨幣)」の意味(皮肉)。
★5 Hessen,西ドイツ中部の州。
★6 北欧神話:岩屋や丘陵に住む巨人。
★7 《ギリシア神話・ローマ神話》:世界の西の果てにあり,英雄や善人が死後永遠にしあわせに暮らせるという島。
★8 flora 《ローマ神話》:花と豊穣と春の女神。
★9 Pan 《ギリシア神話》:森林・牧人・家畜の神,音楽好きで笛を吹く。
★10 Pomona 《ローマ神話》:果実の女神。
★11 Venus 《ローマ神話》:本来は菜園の女神。ギ神話のアプロディーテーと同一視され美と愛の女神とされる。
★12 969 年生きたといわれるユダヤの族長(創世記5:27)。
★13 ゴトランド紀ともいう。4.4億年前から4億年前までの時代。植物は海藻類,動物は珊瑚虫,三葉虫類などが生息。末期に最初の陸上植物であるシダ類が出現。
★14 地質時代の区分の一つ;原生代に続く時代で 6   億年前に始まり2,3億年前に終わる。時代順にカンブリア紀,オルドビス紀,シルル紀,デボン紀,石炭紀,二畳紀に分けられる。
★15 hogback ホグバック・豚背(とんはい)地。低い切り立った山の背,かまぼこ形にそそり立つ山の背。
★16 山や絶壁の下に積もる。
★17 高山などの万年雪。
★18 氷堆石。氷河によって運ばれた岩石・砂・土などの堆積物。
★19 暗色の火成岩,(特に)玄武岩。道路工事用。
★20 地質時代の一つ。新生代の末期,約200万年前から今日に至る時代。砂・礫・粘土・ロームなどの堆積が行なわれ,河岸段丘・海岸平野などが形成された。また,その間に氷河時代を含む。
★21 おもに降水の凍結したもの。
★22 1720年2月24日,ベンセリウスへの手紙。この段落の内容はこの手紙からの引用である。
★23 Giorgio Baglivi(1669-1707);イタリアの医師。純然たる物理医学派の見解をもち,人体を機械になぞらえてすべての理論を立てたが,実地医家としては周到な観察と経験に重きをおいて,名医と呼ばれた。著書に『実地医学論』1696年。
★24 『脳について』『動物界の理法』『理性的心理学』『生殖器官』『霊魂の領域(動物界)』等である。
★25 ラテン語“Homo proponit (,sed) Deus disponit.”「人は計画する,しかし神が配置する」(出典トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』T,19,2)

〔研究誌『荒野』第13号,1997年8月〕