12 Contributions on Political Economy

第12章 政治経済での貢献

 どの国にも,時代の要請にあって,望ましい目的を達成するために懸命に奮闘し,大胆な行動の責任を受け入れるようとする者がおり,明確に思考することによりこれを可能にする者がいる。この部類にスヴェーデンボリは属した。彼は非常に深刻な状態にある自国政府の団体のメンバーとなったのである。

 オランダとドイツから帰ったとき,スヴェーデンボリは,購買力を下げることになるスウェーデンの通貨を膨脹させる法案を1723年の国会に提出する計画を聞いた。当時,彼が自分に課した外国へ行く使命の一つに,スウェーデンの鉄産業のために海外市場を研究することがあった。彼は通貨についても海外にいる政治家と,特にオランダのプレイス★1大使と議論した。彼は,スウェーデンの貨幣をさらに膨脹(インフレ)させることは非常に危険であると考えた。なぜなら戦争の年月の間に,憂慮すべき通貨の価値低下がすでに行なわれていたからである。

 スヴェーデンボリが雄弁であったなら,彼は,公文書保管庁の書記であり遠い親戚でもあるヨハン・ローゼンアドラーのような政治的主導者になっていたかもしれない。彼は自分の選んだどんな事柄でも人々に納得させるほど非常に能弁であった。スヴェーデンボリはその政治上の活動期間のすべてで決して弁舌を振るったことがない,と信じられている。彼の武器はペンであった。1719年の早期,彼は国会の委員会にスウェーデンの通貨を再建させるための手段を考慮するよう指摘した請願書を提出した(57ページ第8章参照)。1722年の夏の間に,彼は通貨に関する重要な問題について自分の見解を表明したパンフレットを書き,そして来るべき国会の開会前に,その案が詳細に公示されることを望んだ。彼はそのパンフレットを『スウェーデンの貨幣の上昇と下落についての穏健な考察』と名付けた[131]

 このパンフレットは11月に匿名で出版されたが,役人たちの間では,これを書いた者がだれかはよく知られていた。これは最初,鉱山局の委員の間に回覧されたようである。通貨の下落に反対する議論を告げていたので,スヴェーデンボリの取引銀行員として働いたアムステルダムの商人への手紙に記しているように,これはちょっとした騒ぎを引き起こした(ストックホルム,1722年11月7日) [132]

 このパンフレットで,彼は次のように論じている――

 国の貨幣がその経済の基盤であるとき,これを確立させる以上に重要なことは何もない。そしてそれから,よい足場の上に立たせた後で,これを乱さないようにするべきである。なぜなら,不必要に通貨を混乱させることは,国全体の交易や商業を変化させ,各人それぞれの商売を乱すからである。人の管理下にある最も貴重なもの〔お金〕を乱すのは,現在,また今後も,そこから害を被る万人の責任を取ることに等しい。

 たとえば,王国の主要な収入が得られる鉄や銅を取り上げてみる。通貨の平価切り下げによって,鉄工業は崩壊するであろう,そして鉄貿易がだめになるだけでなく,国庫もまた害を被り,そしてそのことは何倍も重要なことである。以前の価格に基づく鉄製産の契約は破棄されなければならないであろう。国の安寧に関わる動脈そのものは危機にさらされるであろう。鉄の海外価格は上昇し,貿易の均衡は乱れる,なぜなら金銭の価値により貿易の均衡が定まるからである。さらに,すべての公務員や役人といった,給料で働く者にとって,通貨の価値低下は給料の減少に等しく,そしてこのことは国の福祉を支えることを危ういものにするであろう。

 「それゆえ,尊敬すべき貴族階級の者たち,また聖職者階級と農民階級の者たちは,個人的な利益とよい収入のために,通貨の価値引き下げに同意することをほとんど望んでいない」。ここで市民階級については何も言われていないことを観察するのは興味深い。この階級のほとんどメンバーは変更によって利益を得る,すなわち海外から自国へ商品を輸入する者たちであった。

 このパンフレットに43年後の政治経済学者が最高に賞賛する言葉を与えたほど,そこにまとめられたインフレに反対するスヴェーデンボリの議論は非常に強力であった。その学者は有名なフィンランド人の自由主義者アンデルス・キュデニウス★2である。その小冊子は匿名だったので,キュデニウスが「彼は問題を,これはもうほとんど改良することができないほどにまで,明確にまた力強く論じた。そして,現在の私たちの危機にこれを適用されることだけが必要とされている」と言ったとき,彼はその著者がスヴェーデンボリであるという事実に気づいていなかった[133*]

 こうした主張が反対されることは確実であった。スヴェーデンボリがこの著作の出版許可を公文書保管庁に申し込んだとき,そのパンフレットの印刷を認めることをためらった者がいた。そこには,貨幣の価値低下によって,王国の歳入が数百万ダーラーも失われることが論証され,明示されていた。それに対する反論は,スヴェーデンボリの計算によって数え上げられた全国の収入と経費という事実に基づいていた。当局の最初の決定は延期することだったが,この答申は覆されたに違いない。前述したように,パンフレット『スウェーデンの貨幣』は11月のあるときに姿を現わしたのだった。

 しかし,スヴェーデンボリはこの宣伝文書が出版されて政府の役人たちの間に出回るだけに満足せず,これが公の印刷物で公告されることを望んだ。それは,彼の言によれば「私は他人の意見を,また,これに対する人々の反論を学びたい。そうして通貨問題を十分に説明する機会を得たい」からであった。しかし,大衆の耳に届くものすべてを注意深く調査する公文書保管庁で障害に出会った。彼らの“活動”を調べてみると,スヴェーデンボリのこの件について興味ある議論がなされたことがわかった[134*]

 ヴォン-ヘプケン男爵はその活動に反対した。「彼に自分のパンフレットの用意をさせ,次の国会までに彼が望むだけの分量を作成させよ。その後,問題はそこの議員たちによって決定されるであろう」。

 ブラウナー男爵は,それはこうした広告書を発行しようとする私的な個人の意思にでしゃばることだと考えた。

 ロ−ゼンアドラ−氏は言った――「すべての者に関わり,適用される問題について,彼はただ,最もつまらない物乞いから最も高貴な著名人までのいろいろな見解を求めているだけである。それゆえ,国会が招集される前に,事態に良好な決定がなされるため,このように全般的な質問が前もって大衆の間に宣伝されることは,私にとってこれは明らかに有益と思える」。

 イレンボリ伯爵は,「私は書記官ロ−ゼンアドラ−と同意見である。なぜなら,自由な状態で,等しくすべての者に関わる公けの問題をだれも議論するのを禁じられてはならないからである」と述べた。

 ヴォン-ヘプケンは,この問題はこれに取り扱った者によって,すでに非常に注意深く調査され,決定されており,この本にはこれ以上考慮すべき議論は少しも存在しない,と考えた。「もしスヴェーデンボリがさらに何らかの主張を持っているなら,議員たちの前に問題が出されるとき,彼に提出させよ」。

 書記官ロ−ゼンアドラ−は答えた。「自由な状態では――特にこうした通貨といった全般に関わる問題は――どんな議論も秘密になされてはならない。私的な個人はこれを公けに議論する権利を否定されてはならない」。国会で通貨の価値低下を推進させようと望む議員たちを驚かさないためには,この問題についてその見解を出版することは禁じられている,と答弁しなければならないが,その答弁するのを恐れるほど,彼はそれほど重要な問題であると認めていた。著者はその見解を望むだけ出版することを許されるべきであるし,その書記はあえてそれらを拒むことはしなかった。

 イギリスでの習慣もまたこうしたものであって,この類いのパンフレットを出版機関を通して,だれもが出版することが許されている。このことの効果は,人々はそうした問題をもっと深く見つめ,そうしてそれらについて良く知るようになることである。

 セデルイェルム男爵★3もまた,自由な状態で,だれも公共の福祉の観点をもってその計画と意見を印刷することが許可されなくてはならない,という意見の持ち主だった。それでも,官報に載せる前に,これをためらうのは望ましい,なぜなら,そのとき,人々はこれは公式の承認をもってなされたと考えるだろうからである。

 ロ−ゼンアドラ−氏は,もしスヴェーデンボリによって持ち出された議論が正しくなく,誤っていると見なされ,彼に自分を守る機会を与えられるために誤りが指摘されるなら,それはよいことであろう,と反論した。

 最終的に,公告はスウェーデンの官報に掲載されてはならない,と決定された。なぜなら,官報は公式の認可のもとで発行され,そのときそこの公告は公式の認可を得たものと見なされるであろうからである。

* * * * *

 スヴェーデンボリが1723年度の国会になした貢献は,これだけではなかった。2月の初めに,彼は『貿易収支』についての請願書を提出し,これは通商委員会の場で読まれている。

 この請願書の中で,スヴェーデンボリは,国が輸出によって支払えるよりも多くの品物を外国から輸入している事実を遺憾に思っている。これはスウェーデンを貧困に沈ませる原因となり,もしこれに対する防御をしないなら,国力は弱まり,その市民すべては貧乏になり,他の国家間でのわが国の評価を下落させる,と論じている。スウェーデンが最も繁栄した状態にあり,貿易の収益が150万フロリンあったカール十一世の時代を引き合いに出し,部分的にはバルト海の領土からの歳入を失うことに帰してはいるが,これを現在の200〜300万フロリンの赤字と対比させた。商業に新たな生命を吹き込むため,また貿易収支をより好ましいものに推進させるため,彼は,国民が不幸によって失ったこれらの総額を勤勉によって生み出すことを勧めた。統計表によって,スウェーデンの貿易収支はその鉄の生産に依存しており,これは毎年200〜300万リクスダラーに達することを立証した。次に重要なのは100万リクスダラーに達する銅である。それゆえ,ただ必要不可欠な品物だけが外国からの輸入を許されるべきであり,またそれらはできるかぎり自国で生産されるべきである,と彼は忠告した[135]

 2月20日に鉱山委員会に送られ,読まれたスヴェーデンボリによる別の請願書『貴金属と卑金属について』では,貴金属でないものを犠牲にして貴金属を好む習慣を遺憾に思っている。大量の鉄を産出する鉱山は,その周辺でほんの少量を産出するだけの,より貴重な金属である銀の鉱脈の発見により傷付けられている。鉄工業は,それほど高貴でもなく肩書きもないが,それにもかかわらず,大きな利益を国にもたらす,と彼は論じた。「わが国には鉄の生産から大量の金(きん)を失う危険がある。ただ楽しみのために,そこから貴重な性質の金属を八分の一得る★4」(金属にさえ,階級差別の原理があてはめられているように見える!)

 銅工業にはその製錬に十分な木炭を得られないという困難があった。裕福な鉄工業ほどに木炭のための支払いをしないので,木炭商人は容易には売らなかった。貴族院でこの問題を論じている間,一人のメンバーが次のような報告を述べている――

 「もし銅生産者が鉄生産者と同じくらい木炭への支払いをするなら,銅生産のための木炭は十分に得られる」。これに対し総裁は憤慨して言い返した。「銅の生産活動に木炭が十分であるか不足するか心配する前に,鉄生産をしなければならない!」。そして――彼らの貴族意識と一致して――3週間後,貴族院は鉱山局に通知し,銅は「高貴で,より貴重な金属である」として,鉄に対して銅に味方するような差別を撤廃するよう特に強く求めた[136*]

 そのときスヴェーデンボリは敢然と立ち上がった。彼は自分が個人的にこの法律の制定から害を被るだけでなく国の利益も危機に立たされる,と考えた。彼はついに,どれほど国が鉄工業からの利益を得ているか,その結果,鉄を犠牲にして「りっぱな肩書きを持つ」他の金属に好意を与えることから,鉄を保護することがどれほど重要かを一つ一つ指摘し,これを立証して,しかもさらに決定的な,別の請願書を書いた。

 この『鉄の生産を奨励することについて』の請願書は貴族院で★5,2日後には鉱山局で読まれた。この請願書は委員会から委員会へと渡り,2年後に王国会議そのものへ届いた[137]

 スウェーデンでの『圧延工場について』という別の請願書が出されたが,ここから大衆は利益と便宜を得られるであろう。全世界は,どの国もスウェーデン以上に工場を設立するに良い状況を提供できないことを知っている。残念なことに工場設立がほとんど推進していないことに注目して,スヴェーデンボリはその改善案を示した。オランダやその他の国では,スウェーデンの鉄をいろいろな形に変えることから相当の収入を得ている。もしスウェーデン国自身が鉄の棒や鉄板といったものを供給するなら,その国の生産物の方が他の国の工場の生産物よりも勝っているので,大きな市場を得るであろう。彼は,そうした工場を設立する者に特権と控除が与えられることを求め,そして彼の請願書には,釘,棒,鉄線,鉄網といった蹄鉄工や鍛冶屋,錠前屋の必需品を製造するために外国で使用されている機械の図が添えられていた。この提案は政府のいろいろな部局で討議され,そしてスヴェーデンボリは通商,関税,鉱山委員会のメンバーとなり,これらのために書記として活動した[138*]

 彼は鉄工業を守るための側に名を連ねており,鉄工業に攻撃をしかける最強の者と議論するのを心配しなかった。その者らに,少なからぬ影響力を持つ商人たちのグループがいた。彼らは,スウェーデンの生産品はスウェーデンの船以外のいかなる船でも運ばれてはならないという法律を通過させることで鉄での窮地を免れようと計画していた。これはまさにすぐさま十分な数のスウェーデンの船泊を利用する効果を持った,なぜなら,それらの船舶は悲惨な戦争の間に177隻にまで減じていたからである。そうした法律は消費を思い止どまらせ,生産品の価格を下げるので鉄工業の利益に反した。規制を施行するために――これを要求した商人たちは,スウェーデンの利益を守り,自国の生き血を吸う外国から保護することを思い描いた――国外の貿易でのすべて鉄はただ 3   つの主要な(特定)都市――イェーテボリ,ストックホルム,カールスクルーナ★6――を通過すべきである,と彼らは主張した(当時,これらの場所の数人の商人たちによって独占は容易に定められた!)。

 鉄工業にとって,外国の商人たちと直接貿易した方がずっと有利であるとわかった。自由市場はその生産物に対しはるかによい値段を示し,それで価格は上がった。43年後に,外国の商船を排除する提案が議論に上ったとき,その問題に対し,キュデニウスはスヴェーデンボリの請願書に言及して書いている――

 国会のその賞賛すべき議員〔スヴェーデンボリ〕は,大いなる明確さと力と熱意をもって問題を提起し……。彼の考えは理性に基づいている。彼は有無を言わせない経験に訴え……。禁制による結果を美しい色で描き……。彼は次のように言っている。このことは市民の権利への堪え難い侵害となるであろう。これは専制時代にさえ差し控えられていたものであり,自由な国では少しも侵害されてはならないものである。なぜなら,工業や商業,それに国家自身は,これによって破壊されるであろう。そしてある国民の財産が他の者の財産の犠牲となるであろう[139*]

 スヴェーデンボリの請願書の価値を誇張するつもりはないが,キュデニウスが指摘したように,彼が政治経済に実質的な貢献をなしたことは明らかである。その時代に,政治的自由と経済的自由の間に平行関係があることを示したのは珍しいことである。


原注
131  (スウェーデン語による原題名省略)ストックホルム,1722年。未訳。『手紙と請願書』204-211ページ参照(☆)。
(訳注☆)このページに該当する記事はなく,同書の278 ページに簡単な記事が載っている。
132  ストレームベリへの手紙。『スヴェーデンボリ科学著作集』T,310-311;『手紙と請願書』279-280。
135  『手紙と請願書』289-96ページ参照。
137  『手紙と請願書』301-3 ページ参照(☆)。
(訳注☆)本文の「2年後云々」については,この記述はこの参照部分には見当たらない。


訳注
★1 1712-13 年にハーグとユトレヒトを訪れたとき,プレイスは秘書官であった。この時は,ハーグ駐在のスウェーデン公使である。
★2 Chydenius(1720-1803);経済学者。
★3 Josias Cederhjelm(1673-1729)。
★4 ここは不正確な引用されており原文では意味不明である。『手紙と請願書』(p302)に「1を得るのに8失う」とある。貴金属を得るために本来ならその8倍もの利益を得る鉄鉱石を無駄にしている,という意味であろう。
★5 1723年2月18日。
★6 Karlskrona,スウェーデン南部,バルト海に望む市,人口6万。

〔研究誌『荒野』第17号,1997年12月〕