13 The Board of Mines
第13章 鉱山局
スヴェーデンボリは鉱山局に,亡き国王によって〔監査官として〕任命されたことを認めてくれるように繰り返し請願したが,ついに貧弱な結果を得た――1723年3月,鉱山局は彼を会議に出席するよう招いた。国会は開会中であり,スヴェーデンボリ自身も当時,貴族として国会の一員であったので,彼を局から締め出している問題を持ち出され,国会の注意を引き付けることを恐れたのである。鉱山局のメンバーたちがこのことに気づいたとき,態度を和らげ,数日後に,彼を行政上の投票権と議席を持った臨時監査官と認めた。次に正規の監査官が空席となったとき,そこに補充されるとの約束だけで,彼には依然として俸給はなかった。
ウプサラのエーリク・ベンセリウスから手紙の届いた1年後もこの状況のままだった。その知らせには,天文学の教授ニールス・セルシウス★1の死により,数学部に空席が生じ,そのポストにスヴェーデンボリが推薦されていることが示されていた。その大学ほどスヴェーデンボリの学識と天分が非常に良く知られ,真価を認められていた所はなかった。ある意味で,彼はその大学の文献協会の創設者の一人であったといえる。それは彼がイギリスからその創設者たちと文通していた頃からであり,その関係が途絶えることはなかった。彼の未出版の原稿がその協会に提出され,読まれ,その会合で討議されており,また彼の出版物はその『議事録』[139a*]に論評されている。当時,彼は,論文『銅について』の分冊を送っていた。教授職には相当な俸給が与えられる。ベンセリウスとアンナはもちろん喜んでエマヌエルをウプサラに迎えるつもりだった。それでも,スヴェーデンボリが,自分はそのポストを断わるべきである,と感じたという事実は,どれほど彼の心が自分の選んだ冶金学の職に置かれていたかを証明している。「大学には数学の職席を満たす多くの優れた人がいます」と彼は返事している。その時の彼の関心は,幾何学と冶金学,それと化学にあり,教えることにはなかった。「あることを通して良い奉仕をなそうと思っているとき,それを捨てることは弁解の余地のないものとなりましょう」と彼は説明している。
なおまた,あなたもご存じのように,私には生まれつき話すことに障害があるため,教えることの才能は与えられていません。それで,私は大学が私を推薦しないよう望みます。第一に,このことは陛下の前に鉱山局での私の俸給を確保してくださるようにと,現在申し出ていることの妨げとなるでしょう。私は,粘り強く,いつかこれを達成するつもりです。このこと以外にも,私には,もはや自分が学術的な職業に心が傾きもせず,好んでもいないのがわかっています,たとえ,15,000ダーラーの俸給が与えられようとも……。それで,会議でだれかが私を持ち出す場合,もしあなたが決定的に『否』と答えてくださるなら,これを大きな友情と感じます。しかし同時に,私にその価値があるとしてくれた人たちには感謝を表明いたします[140]。
7月,彼は鉱山マスターの俸給,銀800ダーラーを支給され,これはのちに正規の監査官の俸給である1,200ダーラーに引き上げられた。古いスウェーデンの格言「よい物を待つ者は,決して待ち過ぎない」がほんとうとなった!
こうして,スヴェーデンボリが研究と旅行と出版を楽しんだ余暇の期間は終わった。彼が鉱山局の他のメンバーたちの間に席を得たとき三十六歳に達していた。あらゆる物事への彼の生き生きとした関心を証明している“月から6ペンス★2まで”の多数のパンフレット――機械の図解・経度の計算・金融制度・ストーブの発明・宇宙の構造についての考察――は賞賛に値する。いまやこうした活動の時期は終わった。続く10年間,彼の筆先からはもうパンフレットは流れ出なかったが,それでも,のちに膨大な著作となって実を結ぶことになる研究に専心していた。国会への請願すら姿を消した。
いまやスヴェーデンボリは次の24★3年間を送ることになった役人生活に入ったのである[141*] 。彼はほぼ六十歳になるまで,相当な期間,職を離れることはあったが,他の人々の間での労働と仕事の熟練だけから得られる判断力を発達させ,日々に割り当てられた荷を担い,命じられたように行ない,同僚の指示を実行しながら,すべての人々の引く臼(うす)を引いた★4。これには,間違いなく,深い満足が伴っていたであろう,彼が宝物としたとして知られている「生活訓」の一つ「自分の職業の任務を忠実に果たし,自分自身をすべての事柄で社会に役立てよ」を,いまや彼は自分に当てはめることができたのである。
鉱山局の置かれた建物は今でも立っており,われわれはポルチコ〔屋根付き玄関〕の堅固で古典的な柱の間の階段を上り,朝の9時頃,スヴェーデンボリと一緒に着いたと想像してみよう,仕事着の彼が仲間と挨拶している姿が見られるかもしれない。これらの外交官・政府職員・鉱山労働者・所有経営者・きこり・銅鍛造者たちは宇宙論や解剖学について何も知らず,意にも介さない人々であるが,森林の保護・昇降機・熱炉・硫黄の市価の報告書には強い関心を持つ。
当時,現在のように,鉱業はスウェーデンの富の大きな位置を占めた。最も早い時期から,鉱業は特別な王権の支配下に置かれ,それで現在のように,鉄と銅の収入の大部分は国王が受け,そのため「鉱山局」は国王陛下に対し直接に責任を負った。
委員会を構成する七人は毎週会議を開き,彼らの議事録は出欠の記録から始まっていた。もしメンバーのだれかが欠席なら理由が記された。長期の不在はただ王の命令よってのみ許された。総裁の肩書きを持つ者が議長役を担った。二人の上級メンバーは参事であり,そして四人の監査官がいた。これらのだれもが委員会での議席と投票権を持った。年功序列であったので,参事の席が空くと,最も年配の監査官が参事となれる権利を得た。
スヴェーデンボリが臨席していた年月の間,鉱山局の会議は通常9月に始まり7月の中旬まで,クリスマスとイースターの1〜2週間は休会して,とぎれることなく続けられた。夏の間,監査官のある者は,しばしば鉱山地区の視察旅行に従事した。その地位は決して名目だけの閑職ではなかった。
委員会の職務は管理と技術であった。鉱山の大部分は家族によって,あるいは小人数の提携者たちによって,共同で所有されていた。すべての者が競争相手だったので,だれもが嫉妬深く製造法の秘密を守り,鉱山局はただ統制するだけであったが,そのようにして国の主要な財源が守られた。すべての決定は記録され,常に加えられ,そうして時の経過とともに積み重なって大きな法律の体系となった。これらの法律を施行するため,委員会は四つの地区――ダラカールリアにある大銅山,それとネリケ,ヴェルムランド,ヴェストマンランド――それぞれに鉱山マスターを,またその下に管理人を任命した。紛争を解決するための地区法廷,上級法廷が置かれ,もちろん,委員会そのものはストックホルムに置かれた。各監査官は,そうした訴訟事件で各自の見解を述べた[142*]。
委員会は,どの金属が採掘されるべきか,諸鉱山からどれだけ産出できるかを命じた。鉄工場や溶解炉の仲間や共同経営者の間で論争となっている問題を解決した。鉄の品質基準を見張り,調査のための役人を派遣した。鉄の全生産の10パーセントを政府が得ているは監視するこの仕事も委員会の責任範囲であった。これ以外にも,下級の地位への候補者を調べなくてはならなかった。また,スウェーデンの鉱業での改良法を研究することも委員会の責務であった。価格を調整し,金属への税金を規制したが,これもの重要な機能である。新しい鉱山の開発を,また新しい鉄工場の設置を許可した。どんな建物を追加するときも,堀っ建て小屋ですら,またなんらかの新しい機械の導入も,この委員会の管理下に置かれた。委員会は,木炭をどこから得るか,ある地区の給炭にだれを許可し,だれを許可すべきでないかを決定した。免税の企業はしばしば政府の収入役と争ったが,すべてそうした事件は,たいてい何年間も長引く膨大な議論を要求した。鉱山に関するほんの些細な騒動が委員会やそこの役人に持ち込まれた。もし溶解人の召使の一人が,別の一人と争うなら,事件は市民の法廷でなく鉱山の法廷で裁かれた。こうした事件のすべてにスヴェーデンボリは,彼自身の訴訟事件★5以上に関与し,解決させた。
鉄を生産する上での品質は,特に外国に輸出されるときには,注意深く守られた。鉄棒が赤熱された時にもろいか,(赤熱以下の)常温にもろいか――多くの硫黄または燐を含むからもろいのであり,それで受け入れられない――試験することは,われわれの監査官にしばしば任せられた“副業”であった。
彼の最も価値ある貢献の一つは,疑いもなく,当時ストックホルムに住み,鉱山局の一員であった義理の兄ラルス・ベンセリウスと一緒に,夏の間しばしば,いろいろな鉱山地区を訪れて任務を遂行したことである。しばしば数百ページに及ぶ報告書と一緒に,七つほどそうした任務が記録されている。詳細な領収書と支払いの一覧も提出されている。われわれはこれらの報告書を研究することで,馬の背や馬車に揺られていつ果てるともない森を何マイルも通過し,食事のために農家や宿屋で休憩し,へんぴな堀っ建て小屋の炭焼き人,あるいは地方の職員を訪れ,また田舎の小学校の校舎で所有者と会合を持ちながら,労働者の間の苦情を解決し,新たな任命のための推薦をし,人々に鉱山の法規を説明し,鉱夫の子供たちのために孤児院を設立するに関心を抱いていたスヴェーデンボリを日を追って遡及することができる。われわれは,地球の豊かな宝物を引き出す暗い急勾配の地下の洞窟を,彼が生命の危険を賭して下っている姿を描くことすらできる。不備な立て坑が,粗末な梯子でよじ登らなくてはならないこだまする穴に下って行く。そこには,音のきしる綱によって,鉱石の塊をいっぱいに積んだバケツが上って行き,空(から)のバケツが下って行く。日常こうした仕事に慣れていない者には危険な離れ技である。
スヴェーデンボリと同時代のカール・リンネ★6は,ファールンの大銅山を訪れたとき,その穴の恐ろしい様子に衝撃を受けた。彼の記事の抜き書きから,当時の鉱山について多少の概念が得られるが,それは今日のわれわれのものと非常に異なっている。
この鉱山からは常に煙が上がっており,これまたは同様の穴から得られる全体の印象は,神学者たちが人の心に救われなくてはならないとの気持ちを起こさせるために用いる地獄の光景を思わせる。どんな詩人も,またはどんな神学者も,これらの穴よりも恐ろしい,地下の王国を,または地獄を,描くことはできない。
その入り口からは有毒で腐食性の硫黄色の煙が立ち上り,それがあたりの空気を毒し,そこでは人は苦痛に悩む。煙は大地に染み込み,近隣の植物は育つことができない。地表の下には,硬く重い大地の下450ヤード★7の深さにまで,決して太陽を見ることもない,煙と埃の臭いと熱の充満した無数の暗い独房がある。これらの独房には,鉱山仕事に運命づけられた1,200人以上の太陽をはばかる労働者が,辺り一面の暗闇とすすと煙と臭いの中を,まさに悪魔のように黒くなって歩き回っている。壁はすすで暗く,足元は湿った石ころで滑りやすく,通路はモグラが掘ったように狭く,天井からは腐食性の硫酸の水がしたたる。落盤の恐怖がひっきりなしに襲う。私にはわからない,この地下の王国の低い坑道口で,何と恐ろしい不安が人に襲いかかるのか,また上がってきたいとの信じられないほどの望み人が抱くのか! ここには地獄に落とされた魂の仕事がある。彼らは上半身裸で,口は羊毛のぼろ布をあてて,煙やほこりを吸い込まないようにしている。きれいな空気のあるはずがない。汗は体を滝のように流れ落ちる。たやすく足を踏み外して,底のない割れ目の中に落ち込む! すぐさま小さな石が頭に降ってくる! 二,三人一緒になって揺れる梯子にしがみつきながら降りて行くとき,気の滅入るような仕事が降りかかってくる!
しかし,どれほど暗く恐ろしくとも,日々のパンを得るため熱意と渇望をもってそこに仕事を求めて,労働も人間も,決して不足しない。こうした大いなる深部に存在する不安と暗闇と危険は,私の頭髪を逆立て,私は,もう一度地上に立てること以外の何ものも熱望しなかった[143*]。
このように“花の王〔リンネ〕”は,彼自身の光と生命の世界とは非常に異なる黄泉の国を描いた。これは,ペルセポネー★8自身が彼女の恐ろしい誘拐者の王国を描いていることとよく似ている! しかし,スヴェーデンボリ一家の先祖の地“スヴェーデン”にあり,都市から約30マイル離れたファールンには,喜ばしい性質のものがあった。なぜなら,リンネはその地で,自分の最も美しい花――エマヌエルの家庭教師であったヨハン・モラエウスの娘,十八歳のサラ・エリサベート・モラエウス――を見つけたからである。彼女はリンネの表現によれば「生死をともにしたい少女」であった(付録B)。
1724年,スヴェーデンボリは彼の母方の伯母で,アクスマル鉄工場の五分の四の所有者であるブリタ・ベームとの訴訟事件に巻き込まれた。事件は鉱山局の調停へと持ち込まれたが,その組織による処置の好例なので,ここにそれを手短に記しておくことは適切であろう。それは,監査官の気質を,同様に彼の伯母の気質を明らかにしている[144]。
スヴェーデンボリは,彼の近親から共同所有権の自分の分け前を得るための協定が解決し,夏の間,アクスマルを訪れた。工場は1721年のロシア軍によって完全に破壊されており,スヴェーデンボリは新しい炉を建設するために銅2,000ダーラーを提供したが,この費用は彼の負担分以上であった。家,牧場,その他は,二人の所有者の間で分けられ,二人の支配人はそれぞれ,邸宅の中にある特別な部屋を占めた。
スヴェーデンボリがストックホルムに戻ると,彼の支配人ヨハン・リンドボームから手紙を受け取ったが,そこには,ベーム奥様の支配人ヴァールストレームにより,まったく理由もなく,鉱山の慣習にも反して,溶解炉の共同使用から締め出されたとの不満を訴えられていた。彼は溶解炉を暖めるために莫大な量の木炭を失うしかなかった――炉を暖めるには10日ないし12日かかり,このことが燃料の不当な浪費を引き起こしたのである。
スヴェーデンボリはただちに伯母へ友好的な手紙を書き,いろいろな提案をし,あなたがストックホルムに帰ってきたあとで,話し合いをし,合意に達し,仲直りしたいと望んだ。彼はその手紙を,「私は今まで,ブリタ伯母様が正しく理屈に適ったことしかなさらなかったと存じております」と結んだ。しかし,彼はすぐに幻滅を感じた。少し後で,彼は問題を鉱山局の前に持ち出し,自分に向けられたあらゆる規則に反するがんこな不正に注意を呼び起こさなくてはならないと感じた。共同で溶鉱炉を働かせる五分の一の権利を拒んでいたが,これは彼自身と同じく彼の伯母にもその利益に不利な影響を与えるものだった。
鉱山局からの手紙に答えて,ブリタ・ベームの支配人は,「私は事業主の命令で行動している」と釈明した。それでも彼は,監査官スヴェーデンボリの使用人とは何も共有せず,分離してくれるよう熱心に要求した。
スヴェーデンボリは返事の中でこれに答えて,もし私が溶鉱炉の共同使用から締め出されるなら,鉱石と木炭の損失を補償するよう要求するであろう,と述べた。ブリタ伯母にとって非常に残念なことに,これは認められた。
ブリタ夫人は告訴に応え,スヴェーデンボリの良心に,「あなたは,リンドボームがだれもが扱い兼ねる人物であり,根っからの厄介者であることを知っています」と訴えている。「ある時,彼は私の使用人の一人を殴り倒し,口汚ない言葉を用いて脅しました。彼は無法者で乱暴者です。もし私がこのよう人物を避けようとしても,それでも,彼には炉を暖めるための木炭の五分の四を提供するといったまったく公平な便宜を与えているのに,私は何か不正なことでもしているでしょうか?」と彼女は問うている。「私の使用人たちは,もしリンドボームと一緒に働かなくてはならないなら,彼に殺されるかもしれないから去る,といって私を脅します。彼の工場で働かなくてはならないのなら,彼らに神の祝福などありえません」
これに対しスヴェーデンボリは,「これは主要な問題点の答えになっていません,リンドボームの個人的性格は事件と少しも関係ないからです。訴訟は個人を非難することで勝利を得てはなりません。私は常に和合を求めてきたのですが,疑いと不親切にしか出会ませんでした。私の丁重な手紙に,かくも立派な貴婦人から私の予期しない表現で答えが返ってきました」と返答★9している。スヴェーデンボリは,「リンドボームは六十歳の,よき理解力を持った経験を積んだ専門家であり,すぐれた帳簿係りであり,非常に有能な鉄工場と炉の管理人です。おそらく,不正を働く者に対しては,いくぶん性急でしょうが,しかし,〔先の監査官からの信任も厚く〕高く推薦されており,そして現在,初めて,非難されました。彼が単純で,あらゆることで譲歩するような人物なら,賞賛されたでしょう。鉱山地区には20ないし30人の所有者たちが共有するただ一つの溶鉱所がありますが,彼らのだれ一人,共同で溶鉱するのを拒否する,ということなど聞いたことがありません。私がこうしたことを製鉄人に話すなら,彼は,その一生のうちで聞いたこともないような誤用の最たるものと見なすでしょう」と断言している。
ブリタ・ベームはいらだって,「私が裁判官に訴えているのは,木や石や魂のぬけがらではなく,気まぐれで頑固な人間です」と言い返した。訴訟は,鉱山局によって,2月25日に最終的に解決された――ベーム夫人により,彼女自身の材料を用いて,最初の4回溶解することが許されるが,しかし,炉は暖めて,5度目の溶解のために用意しておく。5度目の溶解はスヴェーデンボリの使用人によりなされるが,その使用人もまた同じく自分の材料を用いて使用し,やはり炉を暖めておく――このことが承認されたが,これは通常の鉱山規則★10に反していた。気の合わない二人の使用人については,「もし,仕事上,どちらか一方が他方に侮辱的言動を取るなら,銀100ダーラーの罰金を課す」とした。
予期せず,また明らかにスヴェーデンボリにとって非常に残念なことに,ベーム夫人はほとんどすぐさま再び,新しい法廷で,今度は地方裁判所で,訴訟を起こし,スヴェーデンボリは財産の分割を完全にしていないと訴えた。スヴェーデンボリは,この考えはブリタ伯母様自身の考えに由来するものではないな,と疑ったようである,なぜなら彼女は「性質の善い,理知的な」人だから,と彼は言っている。これはおそらくだれか法律に詳しい人物にそそのかされたのだ。スヴェーデンボリが,義理の兄で鉱山局の同僚であるラルス・ベンセルシェルナを疑ったことを示す記録はないが,そうした疑いを持ったか持たなかったにせよ,彼は20年後にこれを特異な手段で確認した。訴訟はしばらく続いたが,結局,ベーム夫人と完全な一致と仲直りに達し,スヴェーデンボリがかつて巻き込まれた数少ない訴訟の一つであったこの訴訟は,伯母についての良い印象を確認して,法廷から取り下げられた[145]。
この頃,スヴェーデンボリは,数年前に彼の関心を占めていたポルヘムの機械に再び興味を持つようになった。それらは「鉱山局」の建物の一室に保存されていた。彼は,鉱山局へ大望を抱いた二人の若者の助けを得て,模型を検査し,それらを修理し,失われた部品を補うためには50ダーラー必要である,と報告した。これには,冬には雪が,夏には雨が入り込むというひどい状態にあった窓――それで模型は,常なる湿気と乾燥の変化によって破壊されつつあった――の修繕費用が含まれていた。これらのポルヘムの機械の模型は,スヴェーデンボリの配慮によって後代へと保存され,現在では,原子核から歴史的な価値ある物まで展示されているストックホルムの現代技術博物館に,またファールンの鉱山博物館にある。
鉱山局の莫大な量になる毎日の膨大な議定書に,スヴェーデンボリ執行した仕事が記録されている。ここから現在の著述家は,30年間にわたるスヴェーデンボリ関連の事項を調べられる。彼が積極的に関わったどの事柄も書き出されている。それらは,もちろん,ここで取り扱う題材としては長ったらしくあまりに詳細であるが,しかし,二,三の例を述べよう。たとえば,王室から王冠がだまし取られた事件についての彼の報告,そこではだれが報酬に値する情報提供者かを決定することが問題であった。銅鉱石を横領した罪の鉱山人についての刑事事件では,スヴェーデンボリは,証拠だけでなく,被告人の動機も考慮して慈悲深い判断を下している。通常許可されているよりも多くの鉄を溶解することを許してくださるようにと訴えた寡婦についての別の事件では,このときスヴェーデンボリは承認を強要されたのであるが,しかし残念ながら,彼女は十分に鉱石と木炭を所有していたので,国会に訴えることは別にして,彼女に多くの量の鉄を溶解する権利はなかった。法的基準に達しない鉄を売ったということで訴えられた人に対する別の事件では,調査人であるスヴェーデンボリと彼の同僚は,それを調べた後で,有罪と宣告し,鉄を没収した。ヴァレリウス★11とスヴェーデンボリにとって,ファールンの一鉱山を調査することは非常な困難と危険に出会うことだった。銅山を支える鉱柱★12を爆破して除くことに対し,彼らは鉱山局に警告した――「これらの鉱柱は鉱山の真ん中に位置しており,採掘から非常に注意深く守られてきている。それでそれらを爆破したり揺さぶったりして取り除くことは非常に危険であろう」
スヴェーデンボリの同情をさそった哀れな事件は,未成年の従業員で写字生のヨハン・デュゼーンが酔っ払って鉱山局の役人に対し脅しの言葉を発した一件である。国側の代弁者は,処罰して,解雇するよう,あらゆる努力をした。しかし,被告側の代理人に指定されたスヴェーデンボリは,巧みな議論を展開し,また多くの証人の証言によって,部分的には,その酒酔いは,遺伝による克服するのが困難な心の弱さの結果であると証明した。スヴェーデンボリは,人の心の弱さがその酔っ払いの原因となっているのか,心の弱さによって酩酊するのか,これを見極めるのは不可能だと考えた。
彼を仕事から解雇し,その給料を剥奪するのは,それゆえ,私に理由が理解できない。彼の不注意は病気に由来するのであり,そうした方向は,彼を心も体も悲惨な状況に追いやる……。それでも,彼は常に心を乱しているのではなく,ときどき混乱し,めまいがして,そうして飲むことを抑制できなくなるのは明らかであり,それによって国王の奉仕人としては失敗している……。私は,デュゼーンにその仕事を控えさせ,給料の一部を召し上げて,それを彼に代わってその職に着く者に与えるべきである,ということが理にかなっていると判断する。
これは鉱山局も同意した結論であった。
スヴェーデンボリに発展をもたらすような価値あるものは,大部分が“啓示”から得られた[146]。それでも,役所仕事に含まれる訓練から彼は多くのことを教えられたに違いない。彼はあらゆる種類の人たちに会ってともに仕事をし,情報を集めること,本質的な事実を洗い出すことを学んだ。さらに彼は厳格に観察する能力を養った。彼は旅行と報告を経験した――すべてはのちの人生で本質的なものとなる能力である〔『霊界体験記』を記述することであろう〕。
この組織で証言されている最も重要なものの一つは,スヴェーデンボリが日常的に付き合っていた人々について,彼がどれほど親しく知っていたかが示されることである。レーイェル★13,スヴァーブ★14,セーデルステッド★15,リビング★16といった名前の多くの役人が,後になって,びっくりするような方法で彼の著作の中に再登場する。スヴェーデンボリはその性格をよく知っていた。彼の日記に記され,詳しく描かれているこれらの人々は,彼らが鉱山の規則通りの仕事をして生活し,一緒に働いていた間は,われわれにとってほとんど無意味であり,われわれがスヴェーデンボリと彼らの関係の親密さを理解するとき意味を持ってくる。
スヴェーデンボリを法律家,正義の執行人として見ることは特に興味深い。なぜなら,それは事実と彼がすばらしく発達させた道具――彼の心である――による見解を天秤に載せ,その心を推し量ることだからである。夢や瞑想によってではなく,神秘的な考察からでなく,ただ人間的な問題に関する実践的な生活から,判断して正義を実行することによって,この心は作られた。スヴェーデンボリは30年間,政府の仕事に毎日働く人として,その義務に精を出す奉仕人だった。彼の人生での事実が正しくその年代順に分析されるとき,われわれは,彼のすべての経験の中に,注目すべき連続と発展を見出だすのである。
原注
140 スウェーデンボルグからベンセリウスへの手紙。『手紙と請願書』334ページ参照。スヴェーデンボリの言語障害について他の記事:『ターフェル』U,695(オウケリー);T,34(ロブサーム);T,57(ペルネティ);U545(シェアスミス)。
144 『手紙と請願書』339ページと『ターフェル』T,610。(他の文献省略)
145 『霊界体験記』5837。〔以下『夢日記』も引用されているが,意味不明にて省略〕
146 この問題をさらに研究するには『手紙と請願書』339ページ以降参照。(他の文献省略)
訳注
★1 Nils Celsius(1685-1724/3/31);同じくスウェーデンの天文学者,ウプサラ大学教授であり,水の氷点と沸騰点との間を100
度に分かつ“セ氏”度の提案者である A・Celsius(1701-174)の父。
★2 「月」には“手の届かないもの・できそうもないこと”,「6ペンス」には“つまらないもの”の意味がある。文字通りに意味をとっても,「月の運動による経度発見法」と「貨幣(硬貨)問題」を指しているし,またサマセット・モーム(1874-1965;イギリスの小説家,劇作家)の代表的小説の題名『月と六ペンス』も意識して使用しているように思える。
★3 原文は25であるが,1724年7月(36歳)で監査官となり,1747年6月(59歳)で退職しているので訂正した。
★4 tread the mill「足踏み車を踏む」。単調な仕事,同じことの繰り返しの退屈な仕事や活動,生活の意。
★5 後述の1724年のブリタ・ベーム事件であろう。
★6 1707-78;スウェーデンの植物学者。
★7 約412 メートル。
★8 ?ギリシア神話?ゼウスとデーメーテール(農業・豊穣・結婚・社会秩序の女神)の娘で,冥界の王ハーデースの妻。
★9 この返答は,「会議の場へ」と題する鉱山局への1725年1月13日付『要望書』である。
★10 通常は材料(燃料・鉱石)を持ち分(権利)に比例して,持ち寄ったようである。
★11 Goran Vallerius(1683-1744)であろう。若い時から鉱山局に仕え,スヴェーデンボリ(1724年)に次いで1730年に監査官となった。
★12 地下に存在する鉱体を採掘しようとすれば,切羽のほかにも相互に関連づけられた組織的な坑道網を必要とする。このような坑道網による骨組を坑内構造という。この坑内構造を維持するために採掘せずに残される鉱体の部分を“鉱柱”という。
★13 Adam Lejel;鉱山局の先輩の監査官,『霊界体験記』4718m参照。
★14 Anders Swab(1681-1731)であろう。スヴェーデンボリとの関係は複雑である。1716年12月8日,監査官となるが,これはスヴェーデンボリが国王に面会し,臨時監査官となるほんの2日前のことである! 『霊界体験記』4835参照。
★15 Jonas Cederstedt(1659-1730)は1713年に鉱山局の参事となる。『霊界体験記』4701-3参照。
★16 Conrad Ribbing(1671-1736) は1729年から死ぬまで鉱山局の総裁であった。『霊界体験記』5867参照。
〔研究誌『荒野』第18号,1998年1月〕