19 The Search for the Soul
第19章 霊魂の探求
『動物界の理法』の第1巻[219]は,おもに血液と心臓を取り扱い,第22巻は,脳と人間の霊魂を取り扱っている。これらの主題の研究を解剖学的に論じ始めるにあたって,スヴェーデンボリは,まさに冒頭から,自分は霊魂を探求している,これを頭脳の中に居場所をもった「血液の最も内なる生命」として考えている,と述べている。
この驚くべき著作をわずかな言葉で表現することは,もちろん,まったく不可能である。スヴェーデンボリは通常の科学の分野をはるかに越え,経験と実験の安全な道から離れ,直観的に認識する思考の領域を旅した。彼は同時代の著述家を後ろに残し,その心を現代の入口へ向けた。おそらく,このことが,生物学の発展に彼がはっきりとした影響を及ぼさなかった理由の一つである。しかし今や,彼の大著が図書館の棚から取り出され,ほこりを払われるとき,最も献身的な実験主義者と同じように,思索的な理論家もまたしばしば厳密な科学に深く入り込めることが明らかとなる[220*]。スウェーデンの著名な頭脳の専門家,グスターヴ・レツィウス教授★1はスヴェーデンボリを学識ある解剖学者としてだけでなく,偏見を持たない,鋭くて深い,解剖学上の思想家と評した。ヴィーン〔ウィーン〕のマックス・ノイブルガー(Max Neuburger)教授は,現代のアリストテレスが今日の科学を輝かしく予知しているものをその著作の各章に詰め込んでいることにその驚きを表わし,そして極めて難解なものと思われていた頭脳中のある器官の化学的な活動についてスヴェーデンボリの理論が研究されるとき,さらに素晴らしい事柄が露見するだろうと予言している。ウプサラのマルティン・ラムストレーム教授は,現代の高度に技術的な方法で確認されているこれらの独創的な結論に,スヴェーデンボリがどのようにして達したかを説明しようと努めた[221*]。
スヴェーデンボリは,手元の材料をどのように選別し,病理学上の事実をどのように解剖学上の観察と結び付けるかを知っていた。しかし,彼がその理論を形成できたのは,ひとえに彼に徹底的な無生物の性質の知識,宇宙の構造についての深い考察があったからである。その一例は血液の性質についての次の箇所である――
動物界(霊魂の領域)を,その理法を,私は解剖学的に,物質的に,哲学的に考察しようとしているが,私は血液をその共通の源泉,または全般的な原理と見なしている。……血液は,世界に存在するすべての物の複合物であり,体内に存在するすべてのものの倉庫であり,温床のようなものである。そこには,固まったもの,揮発性もの双方の,あらゆる種類の塩分,油性物,エキス,水性の要素――要するに,動物界,植物界,鉱物界の三物界により創造され,産出されたもの――が何でも含まれている。さらに,血液は大気がそのふところに取り入れた富を吸収している。そしてこの目的のために血液は,肺を媒介として,自らを空気にさらしている[222]。
彼は,血液が全世界とその三物界の富の縮図であるからには,すべての物質は血液を組み立て,絶えず再生させることに役立つという目的のために創造されているに違いない,と推論した。なぜなら,もしすべての物質が人間のために存在するなら,そのとき,すべての物質は血液のために存在するからである。もし,何らかの筋肉か腺の組織が――これからほとんどすべての内臓が構成されている――最も微小の部分に分割されるなら,これは血液を含む血管と,エキス,すなわち純粋な血を含む繊維を構成しているのが見出だされるであろう。
血液の研究には,これは非常に深遠な主題であって,解剖学,医学,化学,物理学の全知識が要求される。それゆえ,血液と血管と心臓を研究している最初の部分では,スヴェーデンボリは非常に一般的な原理と演繹法以外のものはあえて枠組みとして設定できないとしている。このことは,最初は漠然とした当て推量のように見える。それでも,「述べられたことが真か否かは容易に確かめられる。もしそれが真なら,真の哲学のすべての法則と同じように,すべての経験が自発的に証拠となり,これを支持する」と彼は言う。
しかし,個々の豊富な経験は,物事の原因の知識へ導くには決して十分ではない。われわれは,解剖学,医学,化学,物理学といった一般的な経験からの援助を求めなくてはならない。なぜなら,ある科学は,他の科学に出会って拡大し,後に続く発見はそれぞれ前のものに新しい光を投げ掛けるからである。彼は付け加えて――
ある者は,他の者よりも鋭い洞察力を,あたかも生まれながらに所有しているかのように,すぐれた洞察力を与えられていて,実験を観察するために生まれているように思える――エウスターキョ★2,ルイス★3,レーウェンフーク★4,ランチーシ★5 などといった人たちである。またさらに,すでに発見された事実を熟考し,それらの原因を引き出す才能を生まれながらに享受している者がいる。この二つのものは特殊な賜物であって,同一人物の中ではめったに結合することはない。私は,人体の秘密を探求することに夢中になっていたたき,以前に観察されていなかった何かを発見するやいなや(おそらく自己愛にそそのかされて)私が他人の最も鋭利な労作と研究に盲目になり始めることを知った。……それゆえ,私は,自分の解剖用メスは脇に置き,観察したいとの私の願望を抑制し,自分自身の観察に信頼するよりも,他人の研究に頼ろうと決心した。
彼は特別に強い直観的な認識を恵まれた人々のことを語っている。その認識によって,彼らは明確なものから不明確なものを分離することができ,物事を一続きのものへと分類できる――「こうした能力または才能も持って生まれた者は,……科学の深みに透徹すればするほど,自分の想像力を信頼しなくなる」。彼らは,証拠立てられない見解へ早まって帰属してしまうことをヒュドラー★6 として避ける。「彼らが推論の長い道程を終えて,真理を発見するとき,真っ直ぐに,ある元気づける光と喜びの輝きが,ある種の神秘的な光線が……彼らの心の領域をかけ巡る。この喜びを知った心は,たんなる肉体的な楽しみすべてを,これと比較して,軽蔑するのである」。
その一方,学問によって頭の狂った者は,無意味な仮説を考案し,大衆を彼らの空中楼閣へと招く。彼らは,知恵は記憶の属性である,と主張し,原因の探求を価値の無いものと見なしている。しかし,人は肉体の快楽を,世の煩いや心配事を,疑いの目で見なければならない。なぜなら,それらは心を低く外なる事柄へたわめてしまうからである。自分の研究が何か本物の価値を生み出すことを望んでいる著述家に,彼は次の実際的な忠告を与えている――
特殊な利益があると思え,それを深く追及して,これを論文にしようとしている者に忠告したい。その論文をしばらく脇に置き,忘れたものとして,自分のものでなく,だれか他の著者の作品であるかのように,一か月ぐらいの間隔を経て,これに戻るとよい。……そのとき,彼はその著作に赤面し,……知恵がいくらか進歩したことを確信させられるに違いない。
これらのすべてが序文である。この著作で取り上げるあらゆる主題で,スヴェーデンボリは定まった方法にしたがっている。最初に,彼は,最良の解剖学者から拾い集めた経験を書き記す。次に,これらの経験の研究から,彼自身の推論を引き出し,最後に,「事実そのものに語らせる」実験から,自分の結論を確認している。
血液と“動物霊気”★7 についての彼の理論に詳しく入り込むまでもなくわれわれは,全般的に,生命そのものと重量のある多量の赤い血の本質は“霊液”★7 の中にあるというスヴェーデンボリの教えに気づくであろう。彼は霊液を生命の第一の構成物質と考えた。この最も微細な液体――人間の霊魂そのものの媒体――は世界の最初の物質,世界に満ちるオーラ(霊気)から,脳の皮質腺の最も奥まったところの中で生まれる。皮質腺そのものだけでなく,肉体のすべての器官を作り上げる“最も単純な繊維”を通して,生き生きとした流れのように,霊液は製造所から発出する。
霊液以外に,透明な中間的な血液である“純粋な血”が存在し,これはエーテルから導かれる物質と結合した霊液から,皮質腺の中で形成される。この純粋な血液は骨髄の繊維を通って神経の末端に注ぎ出される。そのいくらかは,脳の空洞〔室〕へ染み出し,そこでは蜘蛛膜下の空間と脊髄管に分配され,神経の鞘の内部に流れ込む。第三の空洞〔室〕から,これは下垂体の腺によって吸収され,その腺はこれを,いろいろな経路で,静脈血の中へ,そうして心臓へ送り出す。
最後に複合された血球である赤い血液が存在する。その血球の中に,生体がその維持に必要とするあらゆる化学物質が供給されており,塩分を含む物質によって“純粋な血”の粒子にまとめられている。
赤い血液は,肺を通して,スヴェーデンボリが“大気の塩分”と呼ぶ物質や“大気のふところに抱かれている”他の物質を取り入れながら,空気によって養われている(ついでに,これは酸素が発見される50年前のことである!)。赤い血液は,われわれの食べる食物からも粗悪な種類の栄養素を受け取る。これは,一部は腸の静脈によって,一部は胸管によって,大動脈へ運ばれる。左側の心臓の中で,そのときそれは脳の中の製錬所から頸静脈によって下ってきた純度の高いエキスと結合する。これらすべての要素は,身体のための活動的な血を作るために“大きな円錐形の製粉機”〔=心臓〕の中で,さらにもっとかき混ぜられる。
三種類の血液――赤い血液,純粋な血液,霊液――のそれぞれは,身体を循環するためのそれ自身独自の管を持っている,と彼は言う。これらの管もまた,純度に三段階がある。赤い血液は動脈と静脈の中を運ばれ,純粋な血液は髄質の繊維と薄膜の中を,霊液は“単純な繊維”すなわち最も純粋な程度の薄膜の中を運ばれる。あらゆるものはこうして,完全な秩序に属性させられ,順序よく並べられる。
スヴェーデンボリの教えは,彼の“系列と段階の学説”★8 を理解しないかぎり,そのどの一つも把握できない。「段階」とは「目的」から,「原因」を通って「結果」への分離した連鎖である。体液にはいろいろな段階がある。全身の最も良質な血液,すなわち霊液は,その中にすべての目的を,あるいは意図を含む。中間の血液は動因の段階であり,赤い血液は結果あるいは末端の段階である[223]。「連続的な段階」すなわち,“冷たい”から“温かい”へといった,暗闇から光へといった,次第に,また連続的に増大する連鎖もある。
「系列」は物事を属性づけ,順序よく並べることを意味する。大気には,大気,エーテル,オーラの系列がある。生命ある液体の連続は――三つの血液である。繊維の系列は――繊維の束である筋肉,繊維はさらにまた原小繊維の束である。
スヴェーデンボリは人体を,死んだ物体としてではなく“霊魂の領域”として研究した。彼は,脳を動いて震える器官として描いた。頭蓋の内部で膨脹し,沈殿し,こうして繊維と空洞の生きた液体をすべての神経と頭蓋の空間へ下らせることを強いるのである。
脳は出生後に,心臓の鼓動だけからでなく,あたかもそれ自身が決定し,肺の呼吸運動と協調して動く,と頑強に論じた。彼は,頸動脈が頭蓋の中に入ったとき,その筋肉質の被覆を失う様子を,これらの動脈が骨からなる管の中で曲げられる様子を,それらが驚くべきウィリス環★9 の中に結合している様子を示した――これらすべては心臓の脈搏を低下させ,こうして脳が血液の支配から脱することを可能にしている。彼は,「脳は自由である!」と主張した。脳は人間の霊そのものの器官であり,そのために全身は組み立てられている! 先となるものは後となるものに自分自身を明け渡さない,主人はその僕によりいちいち指図されることを許さない[224]。
現代の脳の専門家たちを最も驚かした事柄の中に,スヴェーデンボリが,脳の皮質は精神的な活動の座であるべきである,と表明したことが含まれる。今ではわれわれは,皮質の細胞が高度の心の活動の座であると考えることに慣れているが,スヴェーデンボリの同時代の者たちが当時,運動や感覚の機能は“脳の中心の空洞”から起こっているかどうか,そして霊魂の座が“松果体と呼ばれる小脳の前方にある小球体”の中にあるかどうか,またはもしかして,むしろ脊柱か肝臓の中にあるかどうか,と議論しているのを見出だすとき,これは驚くべきことである!
スヴェーデンボリは解剖学における実地研究の門外漢ではなかった。われわれは,彼がパリで解剖の講義に出席したこと,彼自身が器具を用いたことを知っている。それにもかかわらず,彼はおもに,鋭い推論と,医師によって報告された臨床例についての彼の研究,他の研究者たちによってはたいてい無視され,見逃されてきた材料に基づく帰結を通しての結論を得ているのである。そうした一例は,すべての感覚と運動の力を失った後に死んだある女の場合であって,死後の検査は,彼女の脳の皮質に空洞があることを示していた。
スヴェーデンボリは脳の構造について詳細な情報を得るため,レーウェンフーク,マルピーギ★10,ルイス,ビドロー★11,その他の著作を引用した。彼らは,〔脳脊髄の〕灰白質を,血管にぴったりと囲まれて,針のような突起を白い髄質の中に突き出している小さな膀胱のような球体からおもに成るものとして描いた。また白質は感覚器官や筋肉に結び付いた繊維からでき上がっていることも知られていた。しかし,スヴェーデンボリは,皮質の“腺”と髄質の原繊維の間の「連続的な結合」を独創的に追及した――髄質の原繊維は,順番に,神経の内部に繋がり,こうして脳の皮質と感覚と運動の身体の器官との交流を確立している。
ブールハーフェ★12は,異なった感覚は脳の中に別々の領域を持つという概念を持っており,デカルトは,「見られる事物のごく小さな映像」は,脳の中心の空洞の壁の上の小さな中空の管によって形成され,そこでそれらは“霊魂によって見られ”,霊魂は松果体の中に住む,と考えた。しかし,だれもがまだ,スヴェーデンボリがその著作『大脳について』[225*] の中で述べているように,精神の機能は特に皮質にあることには同意していなかった。
彼はさらに突き進めた。彼は,脳の皮質は感覚からの印象が意識されるような場所であり,そこでは意識的な運動への刺激が存在するようになることを立証しながら理論的に,皮質のいろいろな領域は異なった機能を持っていることを考え出した。ある領域は身体の高い部分を,ある領域は低い部分を治め,こうして身体の活動の異なった部門・分野は,脳皮質の中の異なった場所に“配置される”と彼は述べた。この考えはまったく新しいものではない。ヴィユサンス★13は,大脳の前方の上方の部分に三つの領域があることを発見していた。これらの研究に助けられて,スヴェーデンボリは三つの“葉(よう)”を特定し,「身体の低い部分,すなわち足の裏にある筋肉と活動は,(脳の)高い部分に最も直接的に依存する。腹部と胸部に属する筋肉は,中間の葉に依存する。顔と頭に属する部分は,第三の葉に依存する」と公表した。――これらは前世紀の間に多くの骨の折れる複雑な仕事の末に到達した脳機能の局在性の理論に似た結論である[226*]。
「卵の中のひよこ」の章で,スヴェーデンボリは当時の発生[胎生]学の問題を取り上げている。マルピーギやハラー★14に教えられているように,ひよこは卵の中で前もって形成されているのではない。彼は自分の主張する“霊液”に特別な力を要求しながらも,新しい有機体の構造はその役立ちを見越して「継続的に形作られる」と言明した。卵の物質は,形のないカオス〔混沌〕ではない。受精によって,雄は物質――父親の霊魂の派生物――を加え,これは一種の局在的な全能によって精妙な秩序で胎児の構造を組み合わせ始める[227]。この物質または液体は,獣類では,第二の,または“磁気オーラ”に,人間では,第一の,または“宇宙的オーラ”に由来する。
しかし,自然界の最も高度な最も純粋な物質から形成される霊液ですら生きているということはできない。なぜなら,最も高いオーラですら生きていないからである。自然は,そのものを考慮すれば,死んだものであり,単に道具としていのちに仕えるものである[228]。ここからわれわれは,いのちの原理に向けて,宇宙の神性――この方が本質的ないのちであり,知恵である――からこれを探し求めて,目を高く上げなければならない。自然を統治される知的な存在がある。しかし,流入するそのいのちと知恵は,どれほど人間の心にある知る能力を越えているのだろう。われわれはただ,これを太陽の活動と比較することができるだけである。自然界の太陽が,媒介となる大気によって,自然の対象物に流れ込むように,そのようにいのちと知恵の太陽は,神の霊を瞑想することによって流れ込む[229]。このことは哲学の範囲を越え,神学の神聖なる秘義の間に存在する。この霊的な流入は,霊液を生きて賢いものとし,実に,肉体の中での霊魂の副執政である。それゆえ,これはまた“霊魂”と呼ぶことができる。これは高い心であるメンス★15の有機的な住まいを,皮質腺の最も奥まった所の中に建設する。これはまた,低い心であるアニムス★16のための二つの脳を,そして最後に運動と感覚の器官を建設する。各人の人間の霊液は,その人間に特有のものであり,神からの知恵または善を受け入れるに適したものとして,良いにしろ悪いにしろ,変化可能である。しかし,それは,その「形成する物質」としての力に関して,本質的には変化できない。このことについては,人類が決して怪物といった類に変わってしまわないように,これは創造者の法則の下にある[230]。
スヴェーデンボリは自分が,「人間の霊液は,地球上の領域の中に降ってくるあらゆることによって,害から絶対に安全である」こと,これは不死で,不滅であり,そして「現世の事柄の束縛や拘束物から解放されるとき,これは依然と,人間の体の形そのものをとり,想像を絶する純粋ないのちを生きる」ことを決定的に示したと信じた。彼はまた,これは肉体のどのようなよみがえりによっても,決して再び現世に戻って来ることができないことも示している[231]。
* * * * *
『霊魂の領域(動物界)の理法』を送り出すにあたって,スヴェーデンボリは,まったく新しい主題についての著作を公表するときにこれまで2度していた匿名というマントを再び身に着けた。この実名を隠す接近法は,自分の専門的職業の範囲を踏み越えていることへの気おくれ,謙虚さによるのかもしれない。または,ありそうな批評によって煩わされるのを避けたかったのかもしれない。彼は因襲的な制限に閉じ込められない天才であった。1721年,彼が匿名で『化学の原理』を出版したとき,彼は機械学の専門家であった。1722年,政治活動に自国の経済的困難への良き解決法をもって匿名で現われたとき,彼は哲学についての著者として知られていた。1740年,『霊魂の領域(動物界)の理法』を出版したとき,彼は有名な鉱物学者であった,そして1750年,匿名で最初の神学著作を出したとき,スヴェーデンボリは解剖学の著者として知られていた! このようにそれぞれの一群の著述の始まりは,それ以前の著述にとって正体不明であったが,それは,あたかも彼がそれらの著作そのものの利点を受け入れるための公平な機会を提供しているように,その著作を先入見によって,偏って見られ,印象づけられないで,そして著者自身の性格の重圧からも自由なものとするためのように思えた。
『理法』の出版後ほとんどすぐさま,学界の出版物であるライプツィヒ『新報』(Neue Zeitung)は1740年8月号[232*]で,これに注目している。1年後,第2巻が現われたとき,学界の雑誌に見られたその書評は,前のものより以上に隅から隅まで扱ったものであった。その雑誌題名は,長いのでこれを凝縮すれば『科学についての信ずべき見解』(Authentic Views on the Sciences)である[233*]。その冒頭の文は,当時,スヴェーデンボリが著者として知られていたことを示している――
この本に対し,われわれは名高いスウェーデンの哲学者,スヴェーデンボリ氏の努力によるものと感謝する。彼は本著に自分の名前を付けることを望まなかったけれども,それでも,同氏は他の著作によって,学問についてのそうした評判を得ている。哲学についての同氏の見解は非常によく知られていて,著作そのものの性格から著者がだれであるかをだれもが容易に推定できる。
評論家は,スヴェーデンボリを人体の構造についての最も価値ある新しい発見を集め,提示したので,学界に非常な貢献を成したとして高く推賞している。それらは多くの書物のいろいろな場所に散らばっているので,このことがなかったら,学徒にとって入手できない材料であったろう。彼は,学徒がその熟考に入るのを許されるのは,すべての医学の技術と人体の構造についての知識が提供されていなくてはならない,そのとき物事の原因に透徹すると期待でき,隠された真理に光をもたらすことができる,と認めている。「学識あるスヴェーデンボリ氏は,豊富で高貴な真理を分け与えたのである」
評論家は,この著作の中でスヴェーデンボリは哲学のまったく新しい体系を提出するつもりである,と指摘している。それから彼は,著者が「系列と段階」によって意味されることを描こうと努めている。スヴェーデンボリは全般的に,自然の隅から隅まで,地球の上方の物質,地球上の物質,その内部の物質に三つの系列があることを認めている,と彼は言う。すべての物質は最初の単純な物質の“単位”から導かれるが,しかし,それらの“単位”によって,スヴェーデンボリは「モルスのモナド」★17も「エピクロス★18の原子」も「デモクリトス★19 やレウキッポス★20 の原子」も意味していない,なぜなら,これらのどれも破壊されることを許さないから,という学説を指摘している。この評論家は,スヴェーデンボリの説明を単純さからはほど遠いものと見なしている。その書評もまた,単純さからはほど遠い。それにもかかわらず,彼は,「単純単位」はさらに開かれるものである,というスヴェーデンボリの体系の本質的な点を把握している。
4か月後に,アムステルダムの季刊誌『推論双書』[234*]は,医師によって書かれたように思える長い記事を伝えているが,その書き始めは――
「この書物に取り扱われた問題について非常に多くの著作があるが,私は,本屋(販売)がその価値に無知で,自費で出版しようとの危険を犯さなかったことに驚かない」。しかしこの本は,読むに値する。これが「生命と健康の原理の理論上の知識だけしか」含んでいないにしてもである。
こうして,この医師である評論家は,スヴェーデンボリが示唆したことに非常な期待を抱いた――血液は大気の“小球体”の中に含まれる栄養素によって自分自身を豊かにするために肺を通過する――恐るべき考えである! なぜかといえば,だれもが大気は毒に浸されており,自然を豊かにするのには適さないで,ただ自然をもっと貧弱にする有害な物体で確かにいっぱいであると知っているからである! しかし,血液がこの不健康な空気(!)に自らをさらすのは,これは確かに,そこから何かを引き寄せる,すなわち大気に含まれるものを取り入れるためではない。これは単に,機械学の冒すことのできない法則によって,「血液は自らを空気に示すよう強制されており,こうして,不幸にも,伝染性の病気にさらされる」のである。
この評論家は,血液の循環に関するスヴェーデンボリの見解を,「あらゆる医師は過誤を犯す恐れなく,これらの結論を適用できる」と褒め称えた。さらなる論文を約束していることを歓迎し,そして,この第1巻のようにそれらが有用で,学会から喜ばれることを望んだ。「人は理由なくして,これを賞賛するのを拒むことはできない」
『理法』の第2巻ついてのある書評は,第1巻がよく受け入れられたことからその著者が第2巻を出版しようと元気づけられたことに言及し,非常に数多くの外国の著者の出版物の要旨を医学者たちに与えることによって,医学を堅くよりよい基盤の上に据えるというスヴェーデンボリの意図を褒めている[235*]。
この評論家が終わりに要約している事柄は,おそらく読者に疑問を引き起こしたであろう――
われわれが霊魂に関して著者から引用した事柄を,われわれ自身が理解しているかどうか……。この疑問にわれわれが「しかり」と答えるなら,実にわれわれは恥知らずである,そして世の中はわれわれをほんの少しも信用しないだろう。……人間の霊魂だけでなく,その不死性や動物の霊魂との違いについても,彼の論じ方の全部は,そこに示された考えから,人が容易に,彼が,理性的な霊魂は物質的な実在物であるべきだとの考えを抱いていたと推測できるかもしれない,そのように構築されている。そのことに神学者たちは決して同意しないし,またこの理由からわれわれもこれ以上の引用を提示するのをまさしくためらうのである。
神学者たちが承諾しようがしまいが,スヴェーデンボリは,「自然の秩序を研究する者は,真理を研究する」と熱烈に信じて,霊魂の探求に固執した。
『理法』は,広く読まれたので,学界の多くの者に影響を与えたに違いない。初版はすぐさま売り切れた。1742年,両巻とも,新たな標題のページを付け,著者の名前と地位と「出版したものと出版予定の」本の目録を載せて再発行された。この版もまた売り切れ,6年後に,第3版が出た。学界の雑誌は,さらなる書評を印刷し,スヴェーデンボリが,「抽象的な主題について多大のきめ細かさと洞察力による著作をもって,学界を豊かにしたことを,そして彼の名誉を高め,彼は学界の間で好評を得た」と褒めた。『推論双書』は言う,「これらの著作はすべての探求する心の賞賛に値する。いくぶん堅いラテン語の文体を除けば,これらの興味ある話題について出版されたものでこれ以上のものはない。私は,著者が絶えまなく出版界に与える書物を学界が好意を持って受け入れるであろうことを疑わない……。もしすべての著者たちもまた学界を豊かにしようと努力するなら,学界はさらに栄えるだろう」[236*]
原注
219 Oeconomia Regni Animalis…ロンドンとアムステルダムで。第1巻,1740年。第2巻,1741年。
222 『霊魂の領域(動物界)の理法』序論,第1巻。
223 同上書,第2巻,第7部,579番以降。〔原注の位置,それと第7部はまったくおかしい。第2巻の第8章579番以降からは「連続と段階の学説」が述べられている〕
224 同上書,第2巻,第2部,第1章。
227 同上書,第1巻,247番;第2巻,338,227番。
228 同上書,第2巻,199,227番。
229 同上書,第2巻,237,251番。
230 同上書,第2巻,314番以降。
231 同上書,第2巻,348番以降。
訳注
★1 Gustav Retzius(1842-1919);スウェーデンの人類学者・解剖学者。その研究は原形質,目,耳,神経,頭骨にわたって行なわれ,また人と他の霊長類との関係や,人類間の関係に注意を払った。
★2 Eustachio(1524?-74);イタリアの解剖学者。耳のエウスターキョ管,心臓のエウスターキョ弁の発見者。ラテン名Eustachius。
★3 Frederic Ruysch(1638-1731);オランダの解剖学者・博物学者。
★4 Leewenhoek(1632-1723);オランダの博物学者;顕微鏡を制作し,赤血球,細菌などを発見。
★5 Lancisi(1654-1721);イタリアの医者・解剖学者。
★6 【ギリシア神話】 ヘーラクレースに殺された9つの頭を持つ蛇。1つの頭を切り取るとその跡に2つの頭を生じたという。転じて,“手に負えない代物”
★7 それぞれ“Animal spirit”と“Spirituos fluid”の(暫定的な)訳語。言葉は違うが同じ内容のものである。その一つの性質は,赤い血液の根本的な物質であって,生命の本質である。
★8 “doctrine of series and degrees”。この概念は後の神学著作にも現われる。『真のキリスト教』214参照。同書の“succesive order”が「段階」,“simultaneous order”が「連続的な段階」と「系列」に相当するか(?)[不勉強で,私にはまだよくわからない]
★9 脳の基部にある脳動脈が連結して形成される環。
★10 Malpighi(1628-94);イタリアの解剖学者;生物研究に顕微鏡を導入した。
★11 Godfrey Bidloo(1649-1713);オランダの解剖学者。
★12 第10章「初期の哲学」の訳注1。
★13 Raymond Vieussens(1641-1716);フランスの医師,解剖学者。脳および脊髄,心臓および大動脈疾患などを研究した。スヴェーデンボリの『動物界』での見解の大部分はヴィユサンスのものと一致している。
★14 Haller(1708-77);スイスの解剖学者・生理学者・植物学者・詩人。(☆しかしスヴェーデンボリはどこにもハラーを引用していない。同書にはハーヴィー(Harvey(1578-1657);イギリスの医師・解剖学者;血液循環を発見)が引用されているので,その誤記であろう)
★15 ラテン語“mens”「知性・意識・精神」が使用されている。
★16 同じくラテン語“animus”「生命・魂(生物である体に宿った)・心」がそのまま使用されている。
★17 原文は“the monads of Morus”,この文全体の意味不明? Morus とは何者か?
★18 Epicurus(341-270B.C.);ギリシアの哲学者。
★19 Democritus(430?-?370B.C.);ギリシアの哲学者,原子論を完成。
★20 Leucippus;紀元前5世紀のギリシアの哲学者,デモクリトスによって完成される原子論の創唱者。
〔研究誌『荒野』第26号,1998年8月〕