22 The Immaterial World

第22章 非物質的世界

 スヴェーデンボリは『霊魂の領域(動物界)』を出版する目的で1743年6月に第5回目の外国旅行に出発した。21日にストックホルムを去り,5日後にスウェーデン最南部のユースタッドの港に到着し,ここで有名な他の旅人とともに,8月5日まで順風を待った。翌日の早朝,一行はポメラニアのシュトラールズントに到着し,そこでスヴェーデンボリは甥のカール・イェスパー・ベンセリウスと一緒になって,興味深そうな場所を二,三日訪れた。ハンブルクに到着して,先月スウェーデンの王位の継承者に選ばれたばかりのホルシュタイン‐ゴットルプ★1家のアドルフ・フレデリック殿下に面会することができた。未来の専制君主と談話する間に,スヴェーデンボリは自分の計画中の本の「内容表」と概して好評を得た『理法』の書評もお見せした。

 1743年の8月末に向け,ハンブルクからブレーメンへ旅行中,梨・りんご・桃・くるみ・栗の夏の果実が重く実った,何マイルもの美しい田舎を通り抜けた。アムステルダム到着後に,彼の『旅行記』は突然打ち切られている。4枚ほどのページが失われているが,おそらく,意識的に取り除かれたのであろう。残りの部分には,スヴェーデンボリのその後の人生に深い影響を与えた著しい心霊的な経験が記録されている――しかし,これは今後に述べよう。

 アムステルダムで,解剖学の権威に相談し,近くにあるライデンの大学を訪れ,『霊魂の領域(動物界)』を出版するための準備をしながら,そして消化器官を取り扱ったその第1巻の序文(プロローグ)を書きながら,その秋を過ごした。12月,彼はハーグの印刷人にその原稿を渡した。

* * * * *

 今やスヴェーデンボリは,推理力の限界を悟るようになっていたようである。理性上の議論は,ある者の心には水晶のように明らかであるが,他の者には少しの効果も生じない! 彼には,信仰への道として,議論では不十分である,という真理がわかり始めていたようである。推論は常に健全なものなのに,なぜ人は推論によって他人を納得させることができないのか? セルシウス教授が『プリンキピア』の中で取った彼の方法に抗議してから後に,彼は経験的な方法を試みるようになった。スヴェーデンボリは『プリンキピア』で多くの間違いをしていることを認めなかったが,しかし,彼は科学アカデミーの会員仲間の批評に,次の科学的な著作を書くとき,分析的な接近を試みようとする影響を受けたかもしれない。おそらく彼は,そうすることで,彼ら自身の方法を用いることで彼らを納得させ,そうして彼ら自身の選んだ武器で,彼らからの反対に打ち勝つことができるかもしれない,と考えたのであろう。

 今や彼は可能な限りの分析の過程を取り,その道を終わりまで来ていた。未知の世界への残りの航海のために,違った方法が,まったく新しい船が選ばれなければならなかった。くじけもせず,数十年の間,彼は,霊魂を探求して人体の解剖学の研究を追い続けてきたが,自分が生きた肉体の内なる神殿〔の内部でなく,その外側〕にしか到達していないのを見出だした! その時代のだれよりも,人体の構造の秘密をよく知り,隠された活動の様式をよく理解したのではあったが,それでも彼は依然として“霊魂そのもの”には到達しなかった。『De Anima(霊魂)』と題された原稿――『霊魂の領域(動物界)』の第7部と予定していたものであり,死後『理性的心理学』として出版された[261]――の中で,スヴェーデンボリは,霊魂を経験や結果からでなく,ア・プリオリ★2,すなわち,最初の原理から取り扱わなくてはならない,と認めている。霊魂は,まさしく,自然の内部のスフェアから『トーガ★3によって隠されている』,霊魂は実際に,「最も内なる血液」または「霊液」として,体の中に現存するのである。しかし,霊的な本質,非物質的なものであるので,これに到達しようとの試みは,最初の原理の助けなくしては空しいものとなるであろう。なぜなら,科学の助けによって現象を研究する分析は,自然的な物事の知識を得るために人類にとって唯一つ開かれた道ではあるが,それでも,さらに高い力からの流入がなくては,人はこの方法によって,ほんとうの真理を獲得することはできないからである[262]

 ある意味で,『理性的心理学』は,スヴェーデンボリにとって目標の成就である。この著作の中で実際に彼は,霊魂と肉体との関係に関するかぎり,霊魂に到達している。しかし,ただそれまでであった。この関係を,彼は本能的な調和の一つとして見て,これに彼は“対応”の名前を与えた。霊魂が肉体の上に働く様式を,彼は,高い能力が低い能力へ注ぎ込むこと,または流入として見た。例えば,喜びの感情を取ってみよう。これは繊維の最初のものである皮質腺の中に発生し,これらの小さな器官を拡張させ,繊維の中に流れ入り,それらもまた拡張させ,最後にこれは顔の中に広がり,そこで喜びは顔面の中で目に見えるもの,喜びの表現となる。一方,憎しみは脳を圧縮し,血液の質を損なわせ,筋肉を収縮させる原因となる。

 霊魂の“実体”は依然として神秘であったが,しかし肉体との伝達の様式は,彼にとって明らかであるように思えた。このことは,彼が解剖学研究を通して追求した明確な対象であった。彼は今や霊魂がどのように働くかを知った。彼は霊魂が感覚の能力,想像力,思考,意志により活動するのを知り,霊魂が脳の最も微小な器官や繊維に流れ入ることにより五感に作用するのを知った。あたかも外側の感覚器官が霊魂に働きかけているように見えるが,これは間違った考えである。視覚は,目の中でなく,心の中に存在する。霊魂と肉体の間の関係は,調和の関係,すなわち対応の関係である。外側のものが内側のものと調和し,一致するとき,それらは応答し,一つのように活動することができる!

 スヴェーデンボリは霊魂の中に二つの区別される段階を認めた――彼が“アニムス(animus)”と呼ぶ,低い心と,“メンス(mens)”と呼ぶ,高く,あるいは理性的な心である。アニムスは感覚の座である。これに特有なものは,喜び,悲しみ,性愛,親としての愛,友情,野心,謙遜,軽蔑,名誉欲,寛大,雅量,強欲,浪費,恐怖,哀れみ,勇気,羞恥心,復讐,心の静けさ,忍耐,残酷,不節制,節制,質素など,そうした“情愛”(感情)である。メンス,すなわち高い心は,アニムスが感情の源であるように思考の活力源である。

 脳の皮質の中で,感覚からの像は概念に変わる。想像力の中で再生されるとき,それらは記憶となっている。それぞれの皮質腺は,ほとんど想像もできない繊細さの網または織物である“単純皮質”を含んでいる。これが“単純繊維”の始まりであり,“純粋知性”の座であり,そこには理解力が住んでいる。これはすべての人間的なものの始まりであり,これらの上に人間的なものはすべて依存する。これは最内奥の霊魂(アニマ)★4から生まれるものであり,すべての判断と命令を発している。

 この著作の中でスヴェーデンボリは肉体への霊魂の関係を論じている。彼は霊魂の別の面――“天界の社会”への,不死性への関係――もまた認めている。これについて彼はほとんど知らなかったので,そのことは漠然とした憶測で表現した。しかし,知識への彼の渇きはかつてなくさらに強烈なものとなった。彼は,二,三年の間に,肉体との関係を切り離されたときの霊魂の状態がどんなものになるかを明言することができることを望んでいる[263]。死後,霊魂がどのような形のものになるかについて,この時点では,次の文から明らかなように,彼には何らはっきりした考えはなかった――

 このことを,まさしく,私は,われわれは人間の形を身につけるとは考えない。なぜなら,そうした形はもっぱら最も低い世界での役立ちのために存在するからである。天界では霊魂は鳥のようであり……。霊であるから,足も腕も,そこから,筋肉も,すなわち肉も骨も必要ではない。……しかし,われわれが霊魂として生きるとき,おそらく,われわれは,あまりに子供らしい推測したわれわれ自身を笑うであろう[264]

 スヴェーデンボリは『理性的心理学』を出版しなかった。おそらく彼は,ある意味で,霊魂が自分を回避したと感じたのであろう。彼は現代心理学ですら達成できない目標を得ようとしたのである。知性についてこれを調べ,計測することに,彼は少しも興味がなかったし,そうした発見を実生活に応用することも興味がなかった。彼は,当時の学者たちが自分の後に続かない,自分の提供しようとする最善のものを拒否するだろう,と知っていた。彼は,解剖学にまさしく取り入れた方法である分析そのものが今ではもはや十分でないことを知った。実に彼は山頂に到着していたのである,そしてさらに登るには,ただ大空の中へだけが可能であった。彼は,内なる源泉へ導くものを求めなくてはならないと知った。そしてそれには議論による推論ではなく,洞察力――直観的に認識する能力――を必要とするのである。

 ここでのスヴェーデンボリの発達の跡を辿るために,人はこの能力の性質を熟慮しなくてはならない。直感は,つまるところ,ただ個人的な経験によってのみ説明できるものである。しかし,だれもが,他にどんな道も開かれていないとき,直感に,すなわち,内なる導きに訴える。大洋の真ん中で船が難破したとき,山頂に飛行機が衝突したとき,それ以前やそれ以後では,信じられないような,疎遠で,理屈に合わないと思える人間関係から,その犠牲者たちは慰めを得ることがある。仲間を選ぶとき,人は,思考よりも深い衝動に信頼を置き,「私のものだ」という内なる声に耳を傾ける。宗教についての新しい見解を示されたとき,最後は「真である」との考えに固まった改心した心は光に向かう,この光は理屈からの光よりも明るいものである。認識,肯定,確信のすべてから,スヴェーデンボリは真理の保証のために“内部から”見なくてはならない,と悟った。

 別の領域,別の世界があることを,そこでは非物質的なもの同士の間の関係は,地上の物質的な関係とまったく同じ様に現実的であることを,スヴェーデンボリは決して疑わなかった。彼には,その世界の現象がすぐに自分にとって親しみ深いものになるなどとは想像できなかったが,それでも,自分がその世界のまさに入り口にいることを確信しなければならなかった。なぜなら,彼は,注目すべき一連の夢を経験し始めており,そして彼の発達の順序正しい部分として,驚くべき豊富さと力をもって,超感覚的な生命が現われ始めていたからである。

 超自然的なものと呼ばれる種類の経験は,彼にとって新しいものではなかった。1736年以来,われわれも知っているように,スヴェーデンボリは閃光,炎を見てきており,これを彼はこの世のものでない知性の承認を示す確認のしるしと受けとめた。しかし,今やこうしたしるしはさらに定まった意味を持ち,彼の人生に大きな方向を与え始めた。このことは,彼の心の成長に完全に沿っている,新しい哲学的な教義を彼の著作に適用することに密接に関連しているように思える。概念の進歩をしるしているからである!

 『プリンキピア』は“有限体”と“大気の粒子”に適用したように何よりもまず“段階”の学説に基づいていた。『理法』では,彼は“連続と度”の学説を適用した――諸器官の連続と血液の度である。『霊魂の領域(動物界)』では,身体の器官とその役立ちを扱う上で――例えば腺と肺臓――彼は,“社会”の学説と名づけた統合の学説を特に発展させた。その続きである『脳』と『霊魂』では,彼は“流入”の学説を適用した。しかしそのときまでは,彼が率直に述べているように,彼は“対応と表象”の概念にそれほど進展していなかった。この深遠な学説を模索するとき,スヴェーデンボリは“相互に確立された調和”,“普遍的な科学”,“象形文字の鍵”を追求する中でこれに近づいていった。

 この概念は,スヴェーデンボリの生涯でこれから起こる局面を理解する上で本質的なものある。なぜなら,この概念によって,夢で示される対象と高い段階でのそれらに相当するものとの関係を知ることが彼に可能になったからである。こうして彼は自分の夢を解釈する手段に到達した,解釈がなければ夢には何の価値もないであろう。これは象徴の論理を新たに公式化する試みであった。そこでは一つのよく知られた自然的法則は,霊的な法則となって言い換えられ,もっと高い力をもって,心や神学の領域に適応される。彼は,ほとんど代数式の用語で,光,会話,血,痛みといった自然的な事柄と抽象的な場面でのその対応物との関係――そこでは光は“知性”となり,会話は“思考”となり,血は“霊魂”となり,痛みは“苦悩”となる――が表現できることを知った。こうして物質的なものは,単なる詩的な形象としての価値をはるかに越えて,それでもこれ〔詩的な形象〕)に関係して,非物質的なものと関連していると見なされるようになった。

 これは,スヴェーデンボリの将来の体系で必須の要素となるべきものである“対応の科学”の始まりであった。物質と超自然的なものとの間のこの鎖は,彼の出版しなかった原稿の間に見出だされた『象形文字の鍵』[265]と題された小著作に含まれている。この著作は象形文字については,ほとんど,あるいは何も扱っていない,そして正しくは鍵でもないが,しかしこれには,そこから後になって鍵が作られるための生の材料が含まれている。物質的と非物質的なものの間の関係は,そこで明らかにされているが,不完全で,準備的な様式によってである。

 対応,すなわち,ある物が異なる場面での他の物に“応答する”ものであるとの考え,これがまったくスヴェーデンボリよる独創的なものだと考えられてはならない。これは,ゼウスの頭からアテーネー★5が飛び出したように,彼の頭脳から完全に正装してわき出たものではない。一つは感覚の世界,もう一つは感覚を越える世界,この二つの世界を結び付けるそうしたものの存在を,彼以前の他の者たちも感じていたのである。マーティン・ラム博士は,スヴェーデンボリが対応の学説に関してその手がかり得る可能性のある源泉を注意深く追跡し,その洞察力に富む伝記研究によって,学者たちに大きな貢献をした[266]

 この概念は,特に『理法』で豊富に引用されているアリストテレス★6やプラトン★7やその他の古典作家からやって来たものである,との多くの提案がなされている。しかし,さらにもっと明らかに,われわれは,この学説についてのスヴェーデンボリの考えの先祖たちを,3世紀に起こった新プラトン主義者の運動の中に追跡することができる。新プラトン主義の最高の目標は,経験的な知識だけに依存することと戦い,“超”理性的な何かを“啓示”するような哲学を発展させることであった。その主要で代表的な人物はプロティノス★8であり,その著作はスヴェーデンボリに知られていた[267*]。神性の啓示は,あらゆる民族の宗教的伝統と儀式の中に見出だされる,とプロティノスは言っている。歴史上,どこでも,神がご自分の霊を啓示された実例がある。それゆえ,新プラトン主義者たちは,古代宗教の再構築と,偶像崇拝を高い力と像の間に本来的に感じる共感――それらの高い力はそれらの像もとに礼拝される――の結果と見なすことによって多神論を説明しようと試みた。その教えはアレクサンドリアに起源を持ち,キリスト教の哲学ではなかったが,しかしそこからの概念はメキシコ湾の暖流のようにキリスト教に流れ込み,厳格で字義どおりの信条による冷たい理性論を和らげ,色合いを添えた。その影響を受けた者は,祝福だけを,人間の心を満足させることができるその祝福は理屈よりも高いスフェアの中に求められるべきだと教えた。至高なる存在者はただ“法悦(エクスタシー)”を通してだけ到達することができる,なぜなら神は理性の面よりも上方の高みにあるから,と彼らは言った,彼らは,人間の魂はその最初の境遇から離れ,自己放棄を通して,戻る道を見出だすべきである,と教えた。最も高い存在である神的な世界,第二の,魂の理想的な世界,第三の,通俗的な現象世界,この三つの世界がある,と彼らは教えた。

 スヴェーデンボリの心は,抽象的な構成と厳密な方法に鍛えられた科学者の心だので,神秘主義者や夢想家が判然としない超自然的な方法で持ち出す直感は,彼の心の中で体系的なものへと変わった。彼は読者に自分をただ信じるべきであるとは決して要求せず,常に自分を理解するよう求めた。また当時,自分は他の人よりもそうした知識をいくらかでも多く持っている,とも考えなかった。死後の霊魂の形態がどうなるかについて論じて,彼は言っている――

 われわれは,これを,低級な未発達の虫としてその葉に這い上がり,しかしその労苦が終われば,サナギへ変わり,蝶として飛び去るカイコ以上に知ることができない[268]

 その未来の形態についての知識が霊魂から今ではなぜ隠され,以前のもっと照らされていた時代にはなぜ物事は良く知られていて,今ではこれほどまでに断片的であいまいなものなのか,この理由は,知恵は霊魂に上からの流入によって入り込まなくてはならず,そしてそうした流入は,自己愛の炎と肉体的な楽しみが支配し,権力への欲望がメラメラと燃えている心に働きかけることができないからである。この崇高な直感の源が開かれるためには,最初に自己愛の炎が消されなくてはならない。なぜなら,そうしなければ高い光は阻止され受容されないからである――われわれは,この法則がスヴェーデンボリ自身の場合[269]に非常に特別に働いているのを見る。彼がその時代の神秘主義者たちから自分を区別したのは,まさにこの点である。そのとき,特にドイツで,ヤーコプ・ベーメの影響は非常に大きかった。全宗教界にまたがって,不明瞭な思想の雰囲気がのしかかり,これは人々の心に回避できない霧のように広がっていた。予言的な夢,幻視や啓示は日常茶飯事であり,宗教法廷や教会会議は毎日開会され,しばしば無垢で優れたキリスト教徒に残酷な処罰を宣告した。狂信的な敬虔派の信徒がしばしば振る舞う極端な形にコペンハーゲンで遭遇したスヴェーデンボリは、その『旅行記』に記している――

この町は敬虔派主義者またはクエーカー派の教徒により汚染されている。自殺したり,殺したりするのは神に喜ばれることだと信ずるほどにも,彼らはすっかり狂っており,これについては多くの例が記録されている[270]

 スヴェーデンボリはベーメやディッペル★9の書物を読んだことは決してないと述べているが,それでも彼はしばしば彼らの魅力のとりこになったと考えられている[271]。彼の目標は彼らと同じのものであったが,その接近法はまったく異なっていた。彼の『プリンキピア』に神秘主義の痕跡はない,なぜなら一貫性と推論が彼の哲学の基調だったからである。

 『象形文字の鍵』で,彼は多くの種類の対応を論じているが,しかし彼はそれらを完全な体系にするまで続けるとは主張していない。彼は像と典型,類似と比喩,寓話と神託を述べ,そして次の最終的な結論を下している――「われわれが,普遍的な世界は全面的に典型に満ちている,と信じることは正しいとされる。しかし,われわれはそれらについてほとんど何も知らないのである」。それでも,彼の最後の言葉は未来を示す道標のようである――「このように聖典を解釈するのは許される,なぜなら,霊は自然的に,また霊的にも語るのだから」。

 スヴェーデンボリはおそらく,自分の次の段階はこれらの事柄を含む研究であろうと確信していた。『霊魂の領域(動物界)』の注に,汚れた血液を清める腎臓の機能を取り扱って,これをだれもが再生の過程で経験する霊の浄化の典型としている。彼は大胆に言明している――

 われわれの表象と対応の学説の中で,われわれは象徴的と典型的の両方の表象を,起こるべき驚くべき事柄を取り扱うであろう。私は生きている肉体だけなく自然全部を述べよう。そしてそれらはまったく完全に最高の,霊的な事柄に対応しているのである。人は,物質的世界は純粋に霊的世界の象徴であると言明するであろう。……私は今後,そうした対応の多くの例を,霊的な事柄のために代用され,物質を示すと同時に霊的な事柄を含む言葉も一緒に,お知らせしたいと思っている。この象徴主義は生きている肉体に充満しており,“腎臓を探る”★10ことの霊的な意味を指摘するために,私はこれを単純に示しているものをここに選んだ[272]

 当時,彼にとって等しく危険であったものは,その時代の無教育の人々を引き寄せた神秘主義の油断ならない渦巻き,それと物質主義と自己主導の知性の圧倒的な大勢に引っ張られ,これに学問ある人々が流された否定主義の上げ潮である。これら二つの方向への思想はスヴェーデンボリの上にその引力を行使した。しかし彼は自分の“新しい哲学的な学説”にその忠誠を尽くし,そして「信仰」の羅針盤によってその進路を堅く定めたのである。

 常にたやすい航海ではなかった。あちらこちらへと押し流された。内なる闘争の嵐が起ころうとしていた。ときどき彼の船は沈没しそうに思えた。危機の時期が彼に近づいていた,われわれはこのことが1743年から1744年の彼の『日記』に生々しく記されているのを見出だす。


原注
261 Introductio ad Phychologiam Rationelem…(『理性的心理学』ノーバート・H・ロジャース,アルフレッド・アクトン訳,フィラデルフィア,1950年)
262 同書,123-39番〔第[章「純粋知性(The Pure Intellect)〕。『霊魂の領域(動物界)の理法』U,10,42〔この箇所に該当する記述は見当たらない。誤記か?〕
263 「霊魂についての断片」『心理学論文集』21ページ〔新版では,「霊魂の知識への道」7ページ〕
264 『理性的心理学』521,524番。
265 Clavis Hieroglyphica arcanorum naturalium et spiritualium,草稿。『ターフェル』U,928ページ参照。
266 マーティン・ラム著『スヴェーデンボリが神秘主義者,見神者へと進んだことの研究』(スウェーデン語の原題名省略)ストックホルム,1915年。
267 リンチェピングのディオセサン図書館に保存されている一冊のプロティノス『哲学作品集』はスヴェーデンボリによって使用されたことがあると言われている。ウプサラ大学図書館のJ・H・リデンによる(書名省略)覚書き参照。
268 『理性的心理学』522番。
269 引用したラムの文献118-120ページ参照。しかし,ラム博士はスヴェーデンボリが言及している“肉体の炎”を霊魂の受け取った神的な火と混同する間違いをしている。彼を導く光がその研究中に見られたという現象は“ignis fatuis”〔鬼火,きつね火,人を迷わすもの〕を意味するものではありえない。『霊魂の領域(動物界)』のエピローグ,第2巻463番参照。
270 『旅行記』,『ターフェル』U,79,260ページ。
271 原注333にあるようにトクスヴィク著『エマヌエル・スヴェーデンボリ,科学者・神秘家』83,234ページ〔邦訳『巨人・スェデンボルグ伝』(今村光一訳)125,336-7ページ〕。
272 『霊魂の領域(動物界)』T,293番。


訳注
★1 15世紀に有力となったドイツの貴族オルデンブルク家の一家系で,デンマークのオルデンブルク王家の分家;伯爵位を得て,シュレスブヴィヒ-ホルシュタインの一部を支配(1568-1773);その後,領地は公国となり,ナポレオンの支配をうけたあと,大公国として認められた;20世紀に入って廃位;ここからロシアのホルシュタイン-ゴットルプ-ロマノフ王家,スウェーデンのホルシュタイン-ゴットルプ王家も分家している。
★2 a priori[ラテン語];「より先のものから」の意。経験に基づかない,論理的にそれに先立つ認識や概念。
★3 toga;古代ローマのゆったりとした上着,ゆるやかに巻きつけて着る。
★4 すなわち,アニマ(anima)と呼ばれる霊魂が最上級,その下にメンス,さらにその下にアニムスがある,としている。高橋和夫訳『スウェデンボルグの超生理学』103ページ参照。
★5 神話ではアテーナーはゼウスとメーティス(思慮)の娘で,ウーラノス(最初に全世界を支配した)とガイア(大地の意味,女神)がメーティスから生まれる男子によって王座を奪われると予言しため,ゼウスは彼女を嚥下し,月満ちた時に,ヘーパイストス(火と鍛冶の神)に斧で自分の額を割らしめ,そこからアテーナーが完全に武装した姿で飛び出したという。
★6 384-322B.C. 古代ギリシャの哲学者。プラトンの弟子。
★7 427?-?347B.C. ソクラテスの弟子,アカデメイア(アテナ郊外にあった学園)を開き,イデア論を説いた古代ギリシアの哲学者。
★8 Plotinos(205?-270);エジプト生れのローマの新プラトン主義哲学者。
★9 Dippel;不詳。しかし,おそらくこの名前はトクスヴィクの本(邦訳書337 ページ)にあるように「ベーメの弟子で,スヴェーデンボリの“巨大人の教義”に非常によく似た本を書いた」J・G・ギヒテル(Gichtel)誤記と思える。
★10 「黙示録」2:23に「わたしは腎臓と心臓を探る者である」とある。詩篇7:9,エレミヤ書17:10 など。「思い」などと意訳されているが,原語は「腎臓」である。
[私論:このことからも,私は,訳者にとって思いもよらない意味が原文に隠されているかもしれないので,勝手な意訳は慎むべきものと考える]

〔研究誌『荒野』第29号,1998年11月〕