PART ONE: THE KINGDOM OF GOD(1745-1772)
第3部 神の国 (1745-1772)
25 Bible Studies
第25章 聖書の研究
われわれの哲学者の心を包んでいた悲しみは,深い静けさと満足に場所を譲った。疑いの心の騒ぎを離れ,彼は霊的な確信の静かな水域に入ってきた。孤独は豊かな霊的交際に変わっていた。スヴェーデンボリは,もはや理解されないままに独りぼっちではなく,別世界の彼自身の社会の中にいた。この世のだれ一人これに気づかなくても何の問題があろうか? 自分の顕微鏡から見取れるものしか取り上げない学者の態度など,もう考慮する必要はなかった。今や彼は,自分が“だれのしもべ”であるかを知っており,通常の人間には授けられない偉大な任務を授けられていると感じた。心騒がす夢に代わって,霊や天使たちとの交流が今や開かれ,この経験の中で,かつてなく神の臨在と導きの静かな確信を示された。
スヴェーデンボリは新しい仕事に,いつもの順序立ったやり方で着手した。人々に聖書の霊的意義を明らかにするには,聖書を入念に研究する必要があった。そこで最初に,旧約・新約聖書の全索引の作成に取りかかった。そこでは解説を試みていない。この『聖書の索引』[323]は,フォリオ判★13巻にぎっしりと書かれた,単なるアルファベット順の表であり,この作成に1745年にロンドン滞在の残りの期間と,その後のスウェーデンとオランダでの続く3年間が費やされた。スヴェーデンボリは,「私は神学における教義書や系統だった書物を読んだことはない」とはっきりと述べている[324]。しかしおそらく,彼の育てられ方からして,大多数の者よりも,聖書に,またルター派の教義の基本に親しんでいたであろう。聖書を理解できないという理由で多くの者が信仰を失い始めていたにもかかわらず,説教を聞き,宗教上の問題を追及して,毎週多くの時間を過ごす日々を送ったであろう。1744年1月4日の夢の中★2で,スヴェーデンボリが殺そうと願った竜は,この聖書の誤った理解であり,それが宗教に疑いを投げかけるからである(191ページ参照★2)。「学究的人間や無神論者はいろいろと疑う,しかしほんとうの哲学者は違う」と彼は述べている。
彼の歩みを追跡するため,解釈における初期の試みを顧みるのは有益であろう。彼が「用語」を主題別に注意深く研究して,その結果作られた莫大な一連のノートは現在『哲学者のノート』[325]の題名で出版されている。数人の名前だけ挙げてみても,プラトン,アリストテレス,アウグスティヌス,ライプニッツ,デカルト,マルブランシュ★3という主要な哲学者らによって定義された「善・真理・知性・想像・記憶」といった数百以上の用語を含む概念の比較研究で,その多くのページが満ちている。
非物質的な観念の象徴としての言葉の研究から,ある体系を構築しようとする彼の最初の試みは『象徴文字による鍵』[326]の原稿の中に見られる。この小著の書かれた日付はいろいろとあったが,著作そのもの証言によって,スヴェーデンボリが『霊魂の領域(動物界)』の最終印刷に目を通している間の1774年の10月以前の一時期であることが確定したようである[327]。彼はここで初めて,聖書の解明に自分の学問から成果を適用しようとの考えに目覚めたようである。なぜなら,同書の結びの言葉で述べていることは――
このように聖書を解釈するのは許されることだろう。なぜなら,霊は自然的にも霊的にも語るのだから。
『対応と表象』と題された小論文も同じ考えを展開している。ほとんど同様の表現で――
霊は自然的な物事を霊的に語り,自然的な人間は霊的な物事を自然的に語る。……純粋に霊的に語ることは人間的なものではない。……天使的な会話は純粋に霊的な会話であり,これは舌による言葉では表現できない……
聖書の解説の中で,しばしば多くの議論と悪い解釈に出会うが,これは霊的な言葉の意味の無知から起こる,と彼は言っている[328]。
それゆえ,この著作の中で,彼は聖書の解明といったものに到達できそうな方法にうすうす感づき始めている。ここで初めて,一種の解読法によって,自然的な言葉と霊的に相当するものを発見しようと試みている。比喩または典型として用いられ,その背後に霊的な概念が隠されている言葉と表現を見出だそうと,聖書を詳しく調べた。彼はそのような比喩または典型を,エデンの園の蛇,ヤコブの夢に現われた天に届くはしごなどの物語,人の子と七つの燭台についての黙示録の記事の中に見出だした。「その麻布は聖徒たちの高潔な行為である」★4の文のように,ときに対応は非常に明らかなこともある,と彼は言う。ソロモンの「箴言」のような本は対応に満ちているが「しかし,それらの文章はわれわれの時代に使われる言葉の衣服で飾られていない。われわれはそれらを単純なものと考え,口では違うように言っても,心の中では軽蔑している」。彼は,セネカの全文章ですらダビデやソロモンの一言に匹敵するだろうか,といぶかる。しかし,残念そうに付け加えている――
もし今日のだれかが,ダビデのように書くとするなら,その者はただ敬虔で単純な,学のない人物と思われてしまうであろう。もしだれかがソロモンのように書くなら,その者は現代の知恵の入り口にも達していない習い初めの道徳家と思われてしまうであろう。もしだれかがイザヤ、エレミヤ、エゼキエルたちのように書くなら,空想家として,夢から目覚めたばかりの者としてあざ笑われるであろう……。実に,キリストその人のように語るなら,現代の価値基準では,その者は単純で未熟な事柄を述べているとされるであろう[329]。
それからスヴェーデンボリは,「主の祈り」に一句ごとの霊的な解釈をほどこし,この祈りは最初から最後まで神の国の到来を述べていることを示している。宗教が退化するにつれて,神は,われわれの感覚に訴えるもの,壮大な寺院・捧げ物・祭壇や儀式といったものを使われる。しかし,これらすべてのものは,単に真の教会の表象であり,もしこうした自然的なものを宗教の本質的なものとして受け入れるなら,われわれは偶像崇拝者となる。表象は,それらの背後にある神的で霊的なものを人間が把握するために使われる。それらは,神の霊が人間の心で捕らえられるための典型であるが,時の経過とともに,その典型の意味することは失われてしまった。
すべての言葉は,……われわれに理解できないちょっとしたカオスのようである。例えば,太陽・空気・人間……心・肉体などの言葉を使うときである。頭では,これらすべてをどのように呼ぶか知っている。しかし,それらは何なのか? それらの内部に存在するものまで探究され,調べ上げられなければ――これは正当な順序でなされねばならない――それらの性質は隠されたままであり,……空しく,信頼できない推測でしかない[330]。
スヴェーデンボリによる一連の聖書研究での最初の試みは,1745年秋に書かれた『モーセの述べた創造物語』と題する小論文に見られ,この中で,彼は前章で述べた自分自身の創造物語である『崇拝と神の愛』と一語ずつ比較している。この論文の終わりほうでは頻繁に,「創世記」の中に述べられた「蛇の頭を踏み砕く」お方であろう「来たるべきメシア」に言及している。最後のページの下欄には次の記録がある――
1745年11月17日。ここで書き出し始めた。
主,イエス・キリストよ。あなたが私を歩ませようと望まれる道へ私を導き,その道を歩ませて下さい。……汝らは浄められ,神とキリストの霊を授けられ,かくて公正のうちに保たれるであろう。これが,神の御国の証しとなろう[331]。
この厳かな言葉は,この11月の日曜日にスヴェーデンボリが熱心な祈りをもって,『聖言の講解』[332]と呼ばれる大作を始めたことを示すように思える。この大作に1747年の2月まで専念した。
人との交際を避けた学者が,純粋に知的な満足のために骨折り,実用的というよりも学問的な著作に没頭していたと思う人がいるかもしれない,しかしそうしたものではなかった。彼の目的は『聖言の講解』の最初の段落に述べられている――
聖書を調べよう,特に神の国を探究する目的をもって……。聖書は,ここに,あそこにあるというのでなく,どこにでもある神の国を取り扱っている。なぜなら,神の国は天界と地上のすべての物を創造するときの目的だからである。
彼の準備的な論文『創造の物語』はまさに,マタイ福音書6章33節からの引用で始まっている――「まず神の国と神の義を求めよ,さらばすべてこれらのものは汝らに加えらるべし」。彼の精神的哲学は変わることなく単純な目的――地上での神の国の性質の探究――に向けられ,彼はみことばを,神の国の建設のために備えられた神ご自身の手段とみなした。
スヴェーデンボリは,メシアの来られる時は近いと確信した。彼は,その来臨のために聖書の奥義が明らかにされる,と信じ,自分自身がその重大な啓示の手段となることを感じた。
「メシアはまさに来られようとしている」と1746年11月に書き……12月は「今はメシアがその花嫁とともにカナンの地に戻られることを期待すべき聖なる日である」と書いた。翌年5月には「今やその時は近い,と予告することが許されるだろう」と書いている。霊的な事柄での厳しい飢饉が広く存在するので,メシアが栄光のうちに来臨する時は近いに違いない,これは文字的な意味通りにではなく,霊的に成就する,と彼は考えた。メシアを霊的に認める者たちに,みことばをほんとうに理解する者たちに,来臨することになろう。すでにだれかが遣わされた兆しがあった。そしてその者とはスヴェーデンボリだったのである!
彼は徐々に啓示を受けた。「少しずつ隠された意味の知識へ導かれ,そしてこれは以前の解剖学の研究と同じように,勤勉な研究の結果としてやって来た」と彼は言う。「順序・連続・共同体・対応」の学説をものにしたように,この主題を追及し,深く考えている間に,直観的なひらめきが起こる中で,得られたものである。
“対応”が彼の直接の研究対象となった。対応するものを夢の中で示され,それが何であるかを「彼の思考の中に口述された」――例えば,使者,金や銀,肩により意味されることである。啓示なしではそのような言葉は決して理解することはできなかった。
霊感がいろいろな方法で起こることをスヴェーデンボリが理解するようにと,ときどき霊たちに,生きた声で命ずるかのように,彼の手を導いて書くことが許された。預言者たちに行なったようにである。しかしそうした書類は破棄された。
私は数ページ分も書き,しかも霊たちが言葉を命じているのではなく,完全に私の手が導かれたのであって,それで書いているのは霊たちだった。
こうした自動書記の事例はまれに起こったことなので,常に特別な注記がなされている。
私が書いているとき彼らは静かだ。私に口で命じて何かを語ることは許されていなかった。これ(口頭での指示)が行なわれるとき,書くことは止んだ。神メシアから直接にまた間接に流れ出るような,そうした事柄を私に告げることだけが許されていた[333]。
後になって彼は,「私は霊や天使の口からの教えはどんなものも得ることは許されていないで,主のみから得ることを許されている」と率直に述べている。これは科学によって備えられた心が受け取る意識的な霊感による教えであった。このことは聖書の注意深く忍耐強い研究から起こったのである。
最後にこの結果に到達するようにと,人生の非常に若いときから,神の摂理が私の行動をこの方向へと支配してきた。このことがついにわかった。そのために,自然的な物についての知識によって,神のみことばの中に深く隠れた事柄を私が理解できるように,そうしてそれらを明らかとする道具として仕えるようにと [334]。
完全な確信をもって,自分の意図した人々に語ることができた――
読者方よ,私を信じられよ,私は真理を語るのだから。神エホバの口から出てくる表現のどの一文字の中にも,永遠から永遠へと現在にも無限につながる普遍的な事柄がその中に含まれ……天と地の初めから終わりまで存在し,存在すべき事柄,深く隠された事柄がその中に存在する。なぜなら,エホバがご自分のことばや聖霊で語られるどんな発言の中にも,エホバご自身が現存され,こうして無限なものだからである [335]。
彼は,アダムを最初に創造された人間としてだけでなく,神の国を構成する存在,神の映像であり似姿である存在の典型として認めた。地上の楽園は天界の楽園を意味した。誠実なアダムの状態は,この楽園の中に住むとき,天界の秩序の中に住むとき存在する。なぜなら,禁じられた果物を食べる時までは,すなわち,下位の経路による流入を許されるまでは,または,感覚を通して世から教えられるまでは,上位の経路を通って天界のいのちがアダムの中に流れ込むからである [336]。
『聖言の講解』はモーセの五書を含んでおり,ユダヤ教会をもっぱらキリスト教体制の前ぶれとして扱っている。スヴェーデンボリは同時代の学者たちの見分けられない象徴を見抜いたが,それでも,それは“霊的な意味”ではなく,むしろ“内なる歴史的な意味”であった。なぜなら,この著作では,彼は依然として研究生であって,その後に続く著作での権威ある明確な文体からはほど遠かったからである。彼はしばしば,意味不明瞭な事柄に出くわし,途方に暮れた。「これらの言葉をよく把握できない」「これはまだ明瞭でない」「私はこれらの言葉をよく理解できない,それゆえ,それらを素通りする。こんなに当惑し,こんなに方法に迷ったことはなかった」と彼は言っている。“内意”は,あたかも「カーテン越し」のように見られただけだった [337]。
彼はこの著作の印刷を計画した。主の再臨の時,人々が主を受け入れるために本書が役立つだろう,と考えた。再三,「これを印刷するときが来たなら」と書き込んで,この計画に言及している。しかし,字下がりの文で記録した彼の個人的な霊的経験を公けにすることは意図していなかった。
学界からの騒乱を予想した。「彼らの科学が反証される時,彼らは憤慨するであろう」と彼は予言した。
彼らは,口と著述の両方で,大きな声で叫びに叫ぶであろう。そのような人間は,……感覚を通してでなく,人間の中に天界への道が開かれている,と聞くだけで,これを作り話として拒否するであろう。……天界にいる者に聞き,これと語ることが(私に)許された……。会話は人が地上で行なうのとまったく同じ会話であるが,これは天界から,上方から……内的にやって来るものである。そして,口で行なう会話と同じように聞こえるが,明らかに傍観者のだれもそれを聞くことも認知することもできないといった方法であり……。
それにもかかわらず,彼はこれに関与したことを,すなわち,著しい経験を持ったことを確信した。
私の述べる事を作り話として拒否しないように。私はメシアご自身によって霊界に入るのを許された,と厳かにも本気で証言できる。これは,現在これらの事を書いて公けにしている間も続いている [338]。
これらの注目すべき経験は,社会生活の上でスヴェーデンボリにどのような影響を与えただろうか? 彼の知人はなんらかの変化に,心に均衡を欠いていること示すと解釈できるような何らかのものに,気づいただろうか? 1746年1月に彼は書いている――
霊たちと話している間,私は5か月間★5自国で友たちと一緒にいて,他の人とも交わっていた。こうして以前とまったく同じように他の者たちに混じっていたが,私にこのような天界との交流が開かれていることを,だれも気づかなかった。
交わりの真っ最中にも,私はしばしば霊たちと,私の回りにいる霊たちと語った。……そのような時,他人には,私がある考えで頭がいっぱいである,としか思えなかった。
非常に驚くべき事と思えるこれらの事柄を伝えたいと願っている,人々が私に信頼を置くためにである。こんなにも長い間,私は地上で友達らの間にいると同時に天界にいた,すなわち,1745年の4月中旬から1746年の1月29日[脚注*]の間である,ただし私がスウェーデンへの帰路にあった1か月間は除く。到着したのは旧暦の8月19日だった [339]。
こうした2年間,スヴェーデンボリが鉱山局の職場を休んだのはたったの12回である。彼は冶金学の問題を討議し,鉱夫たちの間の紛争を解決し,支出金や任命に判断を下し,またしばしば主席委員として,参事が会議に欠席した時には司会を務めた。それで,1747年春,参事ベリエンシェルナが退任したとき,同局が全会一致で監査官スヴェーデンボリを空席となった参事に推薦したのは,予期されたことであった。
しかし,スヴェーデンボリには他の計画があった。彼は国王に,その名誉ある地位に他の人を選ばれるよう書き送り,自分は再び外国に出かけ,現在携わっている重要な仕事を完成したいと願っているので,自分の職務を解いてくださるようにと要請した。彼はフレデリク王に,「自分が30年以上の間,鉱山局の役人として仕えたこと。たびたび旅行し,多くの著作を出版したけれども,そのために国から補償を決して求めなかったこと」を思い出していただき,それから陛下に,「この度は,退官時の俸給の半分を引き続き賜るよう,しかし慣例としての名誉参事の称号は省いてくださるよう」願った。
この願いを国王は大いに喜んで受け入れた。スヴェーデンボリがそのとき携わっている新しい仕事は,彼の他のすべての出版物と同じく,国益に貢献するだろうと確信したからである。スヴェーデンボリが本人の職務解任の勅令を提出したとき,同局のすべての者はあまりに価値ある仲間を失うことに遺憾の念を表わし,同監査官が関与していたすべての問題が決着するまで引き続き会議に出席してくれるよう願った。これに同意し,彼はなおも5回会議に出席した。1747年6月17日,6回目の外国旅行の前日,スヴェーデンボリは王国鉱山局に別れを告げた。自分が同局に関係していた間に仕事を助け,長い間親切にしてくれた思い出を喜ばしく思う,と全局員の好意に感謝して。
王国鉱山局は,細心の注意を払い忠誠をもって監査官としての職責を今日までまっとうしたその監査官に感謝し,彼の幸先よい旅と無事の帰国を願った。その後,彼は去った [340]。
脚注* ヨーロッパ大陸で使われているグレゴリオ暦では2月9日。
原注
323 『Index Biblicus』手稿。
324 スヴェーデンボリからバイエル氏への手紙,ストックホルム,1767年2月。『ターフェル』U,260ページ以降。
325 『A Philosopher's Notebook』(いろいろな主題についての抜粋とメモであり,A・アクトンにより編集,翻訳された)フィラデルフィア,1931年。
326 『A Hieroglyphic Key』〔原題は『象形文字の鍵』だが,内容は表象と対応を扱っており,いわゆる“象形文字”は扱っていなので,『象徴文字による鍵』の題名のほうがふさわしい〕。原注265 参照。
327 『心理学論文集』の“前書き”の25ページ参照。これは1743年に『霊魂の領域(動物界)』第V部の293番を印刷した後,『崇拝と神の愛』の著述前に書かれた。
328 『心理学論文集』217-218ページ。
329 同書,249-52ページ。
330 同書,261ページ。
331 (ここの原注に,この原文が紹介されており,その文の前半部分はスウェーデン語(省略),後半は“Sancti eritis, dabimini Sipiritu Dei et Christi, et perseverabitis in justitia, hoc erit regni Dei testimonium.”というラテン語である)この〔後半の〕文は聖書からの引用ではないように思える。『聖言の講解への序論』122 ページ〔邦訳『転身期のスウェーデンボリ』(高橋和夫)157ページ〕と『フォトタイプ(写真凸版)原稿』W,1-32,末尾参照。
332 『Explicatio in Verbum Historicum Veteris Testamenti』手稿,2102ページ。『聖言の講解』T〜[巻としてA・アクトンにより翻訳された。ペンシルヴェニア,ブリンアシン,1928-48年。85,680,4296,2417,3348,2645,3345番参照〔『聖言の講解』のこれらの番号には,関連する聖書の文句の説明があるだけであり,“参照”の意味不明〕
333 『聖言の講解』7006,6884,1150,1892。『霊界体験記』2902。スヴェーデンボリの体験を現代心霊学の光の中で論じたものとして,シグネ・トクスヴィクの『エマヌエル・スヴェーデンボリ,科学者・神秘主義者』(New Haven,1948年)を参照〔同書の第2版がスヴェーデンボリ財団から1983年に出されている,邦訳『巨人・スウェデンボルグ伝』(今村光一)〕。この時期のスヴェーデンボリの筆跡を詳細に扱い,彼と交わっていた霊によってその文体がどのように影響されたかが「自動書記(Automatic writing)」の標題のもとに紹介されている。彼のいろいろな筆跡の観察から始めて――二人の人間のものかと間違えるほどに異なる,たった一日の間の筆跡を示して――トクスヴィク嬢は,これを彼がいろいろな支配霊,すなわち“サイコン体系”(☆)のもとにいて自動的に綴った証拠として受け入れ,またこれは『霊界体験記』の記事においても真実であることをほのめかしている。
(訳注☆:サイコン(psychon)とは,同書第14章「心霊研究」の中で紹介されているキャリントン(Carington)らの仮説的単位。彼は,すべての概念,感覚からの情報,心象をサイコンと呼ぶよう提案している。彼にとって,“心”とは連想の鎖で結び付いたこれらのサイコン(単位)の体系である)
334 『霊界体験記』1647;『みことばについて』13から末尾;『聖言の講解』2532。
335 『聖言の講解』210。
336 同書,23。
337 『ニュー・フィロソフィー』1946年,355ページ,H・Lj・オドナーの記事参照,それと『ターフェル』U,260。
338 『聖言の講解』2162,475。
339 同書,943,3347,1003。〔本文中の原注の付けてある位置を一段落分,後ろにずらした〕
340 『ターフェル』T,464ページ以降。スヴェーデンボリから国王への手紙,ストックホルム,1747年6月2日。
訳注
★1 二折判。最大形の本。
★2 “191ページ参照”とは原注294の部分である。しかし,竜の登場する『夢日記』227の日付は7月29日であり,この1月4日は意味不明,おそらく誤記であろう。
★3 1638-1715;デカルト派のフランスの哲学者。
★4 「黙示録」19:8。
★5 スヴェーデンボリが完全に霊界に入れられたのは1945年の4月中旬(旧暦)である。スヴェーデンボリがロンドンからストックホルムに戻ったのは1945年8月19日(旧暦)なので,ここの5か月間とは,ストックホルムに戻ってからの5か月間であり,この個所は1946年の1月中旬(旧暦)に書かれている。スウェーデンでは(イギリスと同じく)まだ旧暦(ユリウス暦)が使われていた。現行のグレゴリオ暦は1700年からヨーロッパ大陸で一般的に使われており,旧暦とは11日の進み違いがある。
〔研究誌『荒野』第33号,1999年2月〕