26 Instead of Miracles

第26章 奇跡に代わって

 最終的に鉱山局を去ってから,スヴェーデンボリは,「当時携わっていた重要な著作を,どこかで完成させよう」と,できるだけ早く,第6回目の外国旅行へ出発するつもりだった[341]。その重要な著作とは『聖言の講解(Explicationes Verbi)』である。彼の目的地がオランダであったことは,一枚の彼の原稿に,個人的な要件のためにギルダーとスタイヴァー★1で支払ったと書きつけてあるメモから,それと二通の手紙から明らかである。一通は貸し主カール・ブローマンへのもの,もう一通はアムステルダムのスウェーデン商人の会社「グリル兄弟,アントンとヨハン」気付けで,銀行家ペーター・フルトマン★2へ郵便物に先立って送った通知文である[342]

 再び,1744年のときのように★3オランダに到着の後,彼の計画は変更された。その著作は出版されずに,1世紀ものちになってから,イマヌエル・ターフェル博士が『アドヴァーサリア(備忘録)』の題名でラテン語のまま出版するまで,そのフォリオ判版で3巻の原稿は束ねられ,しまい込まれたままだった。英語版は,最近,アルフレッド・アクトン博士が公刊した8巻の『聖言の講解』として,始めた完全な形で現われ,日の目を見た★4。この著作の出版についてスヴェーデンボリが心変わりした理由は,おそらく,オランダ滞在中に決定的な霊的変化が起こったためであろう。

 2月に『講解』を終え,『聖書の索引』の著述を再開し,これをアムステルダムで完成させたようである。このコンコーダンス(用語索引)は,これ以降,ここからスヴェーデンボリが自分のすべての神学著作で引用する聖書の箇所を引き出す宝庫となった。

 聖書を徹底的に研究するためにはヘブル語の知識が要求される。それで,彼がヘブル語の勉強を始めたのはちょうどこの頃であったろう。彼の日記に,その言語についてのいろいろなメモが見られるからである。ウプサラでの若き日々,彼はヘブル語を学んでいたので,それはまったく目新しいものではなかった[343]。もちろん,オランダには彼が相談することのできた著名なヘブル語学者が数多くいた。スヴェーデンボリは,「天界が私に開かれたとき,最初にヘブル語を学ばねばなりませんでした。それとまた対応も。聖書全体はこの対応で書かれているのです。そしてこのことから,私は神のみことばを何度も読むことになりました」と述べている[344]

 『イザヤ書と創世記の索引』を作成中,そこに重要なメモを残している。そのメモは,神のみことばの特質についてのはっきりとした深い観点が彼に夜明けのように訪れ,彼が以前の著作を見捨て,非常に異なる方向に沿って,まったく新しいものを開始するよう導かれた,まさにその時であることを示すものとされてきた――

 「1747年8月7日,旧暦。私の中で,天の御国へと状態が変化した,幻の中で」

 研究者たちは,この言明を「スヴェーデンボリの心に,今や天界が開かれ,真理に満ちた神のみことばの霊的な内容を知ることができた」そしてこの新しい啓示のもとに,彼は以前の著作の解説を不十分で,不満足なものとして認めた」ことを意味する,と見なしている[345]。以前に書かれたものは真の内意ではなかった[346]。彼は1748年12月に『天界の秘義』を書き始め,翌年の6月に第1巻を書き終えた。

 これはスヴェーデンボリが「創世記」について注釈した第4回目のものであった。最初のものは小論文『モーセにより語られた創造物語』であり,そこでは彼は単に,聖書の物語の文字上の意味と『崇拝と神の愛』で示されたような宇宙論的な概念とを問題にしている。「創世記」を取り扱った第2のものは『聖言の講解』であり,そこでは創造物語の「内的な歴史的意味」を,ユダヤ民族に適用されるもの,メシアの再臨の預言的な前兆と理解している。「創世記」に関する第3の研究★5は,彼の聖書に書かれたメモ★6に含まれており,現在は『創世記と出エジプト記の断片』[347]と呼ばれ,おそらく1747年の後半になされている。これらの研究に携わっている間に,創世記の物語には以前に与えられたものとはまったく異なる類いの隠された意味があり,それは各個人の心の中にある主の御国の発展にあてはまる内意であることが彼に明らかになってきた。したがって,完全に新しい取り扱いが必要であり,それはただ「天界の奥義」としてのみ描くことのできるものであった。この頃の1748年9月,スヴェーデンボリはオランダを去り,イギリスへ行き,そこで『天界の秘義』を執筆し始めた。

 彼はこの新しい著作の中で,聖書の歴史的,すなわち「霊的で自然的な」意味から,その内的な,すなわち,真に霊的な意味へと考察を進めている。これは人間の心の再生に注目するものであって,「天使たちが目にしているみことば」である。今や彼は霊感を受けており,このことから新しい著作が書かれた迅速さ――第1巻を8か月間で――と,その文体の変化が説明される。もはや言葉の意味について,対応について,また文中にあれを書こうか,これを含めようかといった,ためらいも疑いもなかった。従来の神学用語にも,もはや拘泥しなかった。とりわけ,主なる神の名前がどう呼ばれなくてはならないかについて,疑問はなくなっていた――

 以下の著作では,主という名前により,救世主,イエス・キリスト,この方のみが意味される。この方は他の名前を付け加えないで「主」と呼ばれる。全世界にあまねく,主として認められ,崇められる方はこの方である。なぜなら,この方は諸天界と地を治めるすべての力を持たれるからである………[348]

 この著作を以前の彼の全著作と比較するときただちに,今や彼は権威を持った者として語っていることが見て取れる。

 スヴェーデンボリの用語の変化以上に,この頃の彼の心に起こった変化をよく物語るものはない。以前の著作で用いられた表現は,ある程度は概念までも,伝統的著作から取られ,彼が育てられてきたルター派教会の教理を具体化していた。これらの過渡的な著作には,神性における三人格や身代わりの贖罪という教義への信仰を示すと思える文言が見られる。例えば,『崇拝と神の愛』では,二人の神を描いているように見える。その一人は「正義の怒りに熱く燃え,雷電を腕に,全世界を滅ぼそうとされる」全能の神であり,もう一人は「その怒りの真ん中に我が身を投げ出し,ご自分の腕で人類を抱かれる」そのひとり子の神である。

 これを見て,われわれの至高者なる神は,雷電をかたわらに置き,同時に自分の怒りの犠牲とならないよう,ご自分のひとり子に立ち去るよう願った,がこれはむだだった。ひとり子なる神は,愛の火に燃え「喜んで罪の咎めを背負い,正義の刑罰を受けましょう」と言い,無知で罪のない者を御父が惜しまれ,雷電で自分を破壊されるよう懇願しながら,これを拒まれた。……このとき,この最も神聖なる親は心を動かされ,ご自分の正義の炎を減じさせるだけでなく,立ち去る前に,愛から約束された。御子ゆえに,この世を容赦しようと……そして,われわれの愛なる神(=メシア)に,かの暴君を,ご自分の敵を,ほしいままに縛る力,解く力を与えられた……[349]

 『聖言の講解』では,「メシアの血によるいのちと霊魂は,御父をなだめ」,そしてメシアは,この血の功績によって,「ユダヤ民族と異教徒たち両方の罪をご自分に背負われ,こうして取り去られた」と述べられている。のちになってさえ,スヴェーデンボリは,聖霊を神性の第三人格としているように見える。「悪魔に関して……私によって書かれ,出版されたものは,キリスト教世界が違ったように信じないかぎりは,違ったように書かれることはできなかった」と彼がほのめかして言っているものはこうした表現を指している。言葉を変えれば,そうした用語を使ったのは,それらが神のみことばの文字上の意味を理解するのに当時一般に受け入れられていた表現だったからである。これはスヴェーデンボリが人々を連れ出そうとした教義のことを述べている,そしてそれが自分の使命だと思ったのである[350]

* * * * *

 何年もの間,スヴェーデンボリは霊的な経験を日記に記録し続けた。最初は『聖言の講解』の中に,霊たちとの接触の記録を字下りの段落にして,そうした経験を簡単に書きつけておいた。これらの記録を公けにするつもりはなかった。のちに,そうした経験を『霊界体験記』[351]として知られる別の書物に記録した。この日記の最初の148の項目は,彼がスウェーデンにいる間に書かれたが,今は失われている。しかし,その内容は,スヴェーデンボリ自身が入念に作成した『霊界体験記の索引』から,私たちに知られている。その大部分は霊たちの性質に言及している。

 1748年9月に書かれたある注釈から,その失われた手記はたぶん燃やされてしまったと推測される。「失われた書き物を夢に見た。それらは炉で燃やされた」と言っているからである。オランダ滞在中にも,彼は我が家の庭にある小屋の天井裏の隙間に積んでおいた論文が気がかりになった。そこで代理人ペーター・フルトマンへ手紙を書き送った――

 ここで思いついたのですが,あずまや★7の暖炉ではどんな火も起こさないでください。屋根裏にある煙突は広く開いており,火の粉が飛び,そこにある私の書類に火がつくかもしれません。そこには本やその他の物も置いてあります[352]

 スヴェーデンボリの心の意識が他の世界へと新たに「開かれた」のは徐々に起こったことである。彼の超自然的な最初の目覚めは,『霊魂の領域(動物界)の理法』を書き始めていたときの,1743年の10月に経験した普通でない「超自然的な」眠りのときである。主の最初の現われは,『夢日記』に述べられており,1744年に起こった[353]。霊界を垣間見る経験は,彼がある霊に話しかけられたとき最高潮に達した。それから,1745年4月の「召命」が来て,その時以来,彼は人と話すように霊たちと話した。彼は,「その時から,天界にいると同時に地上の自分の友と一緒にいた」と言っている[354]

 霊たちが人間の意識に働きかけることができる方法を説明する中で,スヴェーデンボリは,「私は最初“ものを漠然と見るような感覚によって”霊たちに気づき,その存在を認め,近づき,それから去った」と述べている。彼は,「私は何年も前に死んだ霊たちの群衆に取り囲まれた」と言う[355]。「あの世は悪意に満ちた勢力と,無数の単純で誠実な,しかし教えを受けていない霊魂をとりこにする悪霊でいっぱいであり,その悪霊質は自分たち自身の誤った考えと信念によってそこに閉じ込められている」と知らせる。これらのことのために,彼は特別な使命を与えられたのである。

 ある夜,震えながら心騒がす眠りから目覚め,自分が「天使たちの縦列」に囲まれており,その真ん中にメシアご自身がおられるのを認めた。自分を悪人から守るという目的からこれらの天使たちが「青銅の壁」★8を構成するとの考えが起こった。その後,彼は霊界で「低い地」[脚注*] と呼ばれる地域にいる不幸な者たちのもとへ降ろされた。

 「私は,『ああ神よ! ああ神よ! イエス・キリストよ,哀れんでください! イエス・キリストよ,哀れんでください!』とった嘆きを聞いた。これらの惨めで哀れな境遇にいる者たちの一人が,自分に拷問を加えることを許されている霊たちに苦しめられている,と訴えた。スヴェーデンボリは,慈悲そのものであられる主は,いつかは,その穴から囚われた人々を解放される,その拷問の場所から引き上げ,天界へ連れて行かれる,という考えで彼を慰めた」

 別の夜,彼は,自分がボートに乗って,ゴーゴー鳴る恐ろしくて黒い海を渡るように思えた。波は右から左へ打ち付け,最後には岸を揺すったが,そこに自分が立っているのがわかった。彼は,囚われた人々が大群衆となって束縛の穴から解放されるような激しい動揺を,「最後の時」が近づくしるしを意識した。「人々よ,目覚めていなさい!」[356]

 あとになって,以前には闇に包まれていたこれらの霊魂たちのある者が天界に入れられ,白い衣服を着せられ,教えを受け,美しい邸宅を与えられるのを見た。神が彼らの一人を抱き,キスするかのように見えた。「彼らの大部分の者は,自分たちが戦車や乗り物に乗って,この場所が,あるいは他の場所が自分たちに適しているか,すなわち,そこに住む霊魂たちと一致するかどうか試されながら,いろいろな所へ連れ回されるように思えた」。なぜなら,どの霊魂も最終的には,そこで平和に住むことのできる社会を,憩いの場所を見出だすからである。

 スヴェーデンボリは,世で知っていた二人の者が内的な天界へ上げられるのを見た。彼らは,「私たちの喜びは言語に絶している。地上の,そして世のすべての喜びはこれと比較するなら無に等しい。天界で味わう平和は筆舌に尽くせない」と言った。すなわち,それは「すべての喜びの集合体であり,肉体的な欲望,将来の心配や思い煩いからの解放である」と彼は説明する。ある夜,眠りに就く前,彼は内的な天界の数多くの天使たちが歌っているのを聞き,「全天界はこのように絶えず主を賛美している」[357]と語られた。しかし,天界の状態に準備できていない者たちには,上位の領域の雰囲気はほとんど窒息しそうにも不快なものである,と彼は言う。天界に上げられることを強く要求し,これを味わうことを許された霊たちの場合がそうである。彼らはすぐさま真っ逆様になって我が身を投げ出したのであった。

 この時期のスヴェーデンボリにとって,霊的な分離の状態は連続的なものではなかった。1747年10月5日,彼は言う――

 私が世俗の事柄に関する考えに落ち込むときはいつでも,そのとき天界の住居で認めたことはすぐさま消えてしまった。このように自分の考えを世に引き下げる者は天界から落ちてしまう★9。私が自分の庭のことを,その庭を管理する者のことを,家に帰ったときのことを,金銭問題を,自分の知っている知人の心の状態のことを,書こうとしているもの,特に,それらが他人にどのように受け入れられるだろうか,おそらく理解されないだろうということを,得ようする服のことを,こういったさまざまなことを考えるとすぐさま――このようなことが長らく心に浮かぶときはいつでも,霊たちはすぐさま,都合の悪い,面倒くさい,悪い思いを投げかける。……ここから多くの人の憂鬱(ゆううつ)が起こる……[358]

 1748年3月4日,彼は書いている――

 今やほぼ3年,すなわち33か月間,私の心は物質的な事柄から引き上げられている――私は霊的な者たちと天的な者たちの社会にいることができ,それでも何ら変わりなく人間の社会の他の人たちのようであった――状態にある。これには霊たちも驚いた。しかし,思考の中で世俗の事柄に強く引き付けられるときには,必要な出費を心配するときのように――このことについて今日,手紙を書き,私の心は一時,そこに引き止められた――私は,あたかも,物質的な状態へと落ち込み,それで霊たちは私と対話することができなかった。彼らが,自分たちは不在のように感じた,と言っていたからである……。ここから,霊たちは世俗的で物質的な事柄にあまり心を配っている者と語ることはできない,と知ることができる。なぜなら,肉体的な事柄に関するものは,いわば,心の思いを引き下ろし,それらを物質的な物事に沈めてしまうからである[359]

 1748年3月1日,死と復活の状態に似たものを経験した。

 今朝,死んだ者の状態に入れられた。死ぬときの状態と死後に続く状態はどんなものなのか知るためである。実際に死んだのではなかったが,肉体の感覚に関して,ある無感覚の状態に入れられた。私が,死に付随する状況を認めて,記憶にとどめるため,内なるいのちは,その間,完全に残っていた。……★10

 彼は,自分の呼吸が部分的に抑圧されたこと,それから,悪魔の間に放置されないようにと自分を守るために「天的な天使たちが入ってきて,心臓の領域を占めた」様子を描いている――

 だれかが死ぬと,すぐさま天的な天使たちが現われる。彼らは頭のあたりに座って,絶えず離れず,こうして悪霊の接近から彼を守っている。彼らはこの務めをあらゆる人間になす。霊魂がその肉体から解放されても実に長く,天的な天使たちは彼のもとにとどまる。人が,寝床で,戦場で,あるいはまたその他の方法で死のうが,問題ではない。すべて人の中で生命を持ったものは――彼のからだの一部がどれほどばらばらでも,実に,何千マイルも散らばっていようとも――それでも一瞬のうちに再び集められ,一つとなる[360]

 この経験は,『霊界体験記』に語られている他の多くのものと同じく,こうした啓示について何かが述べられることを嫌った霊たちがいたにもかかわらず『天界の秘義』の中に組み入れられた。

 しかし,〔その霊たちは〕「それらは奇跡に代わるものである。それらなしでは人間はその本の特徴がわからないであろう。これを読まないし,理解しないし,感動しないし,信じない――簡単に言えば,〔全部の主題について〕無知のままであろう。……単に学問があるといった者たちは,それらの大部分を拒絶するだろう」と答えられた。[361]

 この驚くべき霊魂――生きる者と死んだ者の二つの世界に同時に住む者――に出会った霊たちは,通例,彼を“Underlig”★11と呼んだ。[362]

 この時期のスヴェーデンボリが味わった霊的な出来事は,ほとんど想像もできない性質のものだった。この分野では勇気と呼ばれるものが必要であり,それは通常の冒険心とは異なる種類の勇気である。ここには良家に生まれ,天分に恵まれ,学界から名誉を受けるだけでなく,政界にも扉を開かれていた者がいる。この恵まれた天分をもって彼は何をすることを選んだか? 同時代の者たちからはあざけり,伝統的な聖職者たちからは迫害,だれも読まない本を出版して自分の時間と財産を浪費していると見なす親戚の者たちからは憎悪,ほとんどこれだけのことしかもたらさない危険な賭けを,その生涯で選んだ。しかも,目前の好評は期待しなかった。彼は解剖学の一著作★12で述べている――

 発見の栄誉でなく,見つかった真理が私を喜ばせる。そして私はこれを真理の友だけに訴えるのである。後世は,もし現在でなければ,真理以外のものを笑うだろう。……「自分の時代だけの人々のことを考える者は瑣末な事柄にしか生まれていない。無数の年月,無数の人々がまだ来ていない。ある理由★13から同時代の者たちが黙っているにしても,これらの人々に目を向けよ」

 「悪意も好意も持たずに判断する者たちが来るであろう」と,彼はセネカから引用★14 して〔その著作を締め括って〕いる[363]

 しかし,これらの危険な賭けも,他の危険――死者と交わること,悪霊の大群がひしめく霊たちの世界と交流する危険――に比べれば何でもなかった。スヴェーデンボリには,悪霊たちが自分に襲いかかり,身も心も破壊しようと待ち構えている危険がわかった。彼は,「ベッドで寝ているとき,彼らは私を締め殺そうとたくらんだ。理性が破壊されそうになる恐ろしい悪夢と幻で取り囲まれた。ぎりぎりのところで思いとどまることのできた自殺したくなる気持ちを彼らは吹き込んだ。理解力を奪ってしまう飲み物を飲ませようと試みた。私の肉体のいろいろな部分に責め苛む痛みを加え,吐き気・めまい・熱を引き起こした」と言っている[364]

 「私は他の人たちがその苦痛のためにこれに耐えることができるだろうか,と疑う」そして,「しかし,私はそれに慣れたので,ついには,しばしば苦痛なしで耐えた」。かつてある霊が背後からこっそりと彼のもとにやって来て,短剣を突き刺そうとした。「心臓を突き抜かれるかのような一撃を,それとすぐさま脳に,人を簡単に殺してしまうといった別の一撃を感じた。しかし,主により守られていたので,何も恐れなかった……。あらゆる瞬間に主が人間を守られないのなら……主への愛と信仰の事柄に反抗する霊たちの世界にはびこる言語に絶する強烈で致命的な憎悪のせいで,人間は即座に滅びるだろう。(しかし)悪魔は,主に守られている者たちには何も危害を加えることはできない。これを知ることが多くの驚くべき経験から適(かな)えられたのであり,それで,ついに私は,地獄の一味の最悪の者ですら,恐れない」と彼は言っている[365]

 この崇高な信頼,主の庇護に対するこの完全な,子供のような信頼は,スヴェーデンボリの勇気の原点であった。しかし,私たちは,これらすべてを被ったのは,彼が堅く信じているように,計り知れないほど値打ちのある霊的な情報を地上にもたらすためであったことを忘れてはならない。彼の危険な使命は,賞を勝ち取るといったものとは何ら共通点のない,非常に特別な種類の勇気を必要とした。霊魂を扱った本の中で,彼は“勇気の定義”を与えている。私たちは彼自身による適切な説明に従おう――

 純粋な勇気は,決して自己愛と結びつくことなく,多くの者の愛,そうして社会の愛と不可分に付属するものである。……すべての人間の中で最も卑しむべき最低の者は,真理を,聖なるものを,天界と神を何ら恐れず,ただ自己だけを……。崇高で死すべきものの上にあげられている霊魂は,真理のために,特に,天界の真理,神の真理のために死に下ることを恐れない。なぜなら,彼らは真理を恐れ,その消滅を心配するからである[366]

 『霊界体験記』は,おそらく,その困惑を感じる性質のために,その驚くべき記事への注意を喚起する努力がときどきなされたにもかかわらず,スヴェーデンボリの他の著作よりもあまり研究されなかった[367]


脚注* Terra inferior.


原注
341 『ターフェル』T,465。
342 『ターフェル』T,383-4。
343 ヘブル語についての論文の標題のもとにスヴェーデンボリの最初の自筆がブリン・アシンの新教会アカデミー図書館に現存する。(ラテン語による題名省略)1699年,ストックホルム。1715年の彼の父からの手紙に,エマヌエルの東洋言語〔ヘブル語〕の知識について言及されている。『ターフェル』U,742。
344 スヴェーデンボリからバイエルへの手紙,1767年2月,『ターフェル』U,261。
345 『ターフェル』U,967での,同博士の意見参照。
346 『霊界体験記』4149番。
347 “Fragmenta notarum ad Genesin et Exodum”,草稿のまま,『ターフェル』U,959。
348 『天界の秘義』14番。
349 『崇拝と神の愛』78番。
350 この問題を議論するために,『ターフェル』U,1196-1113,それと『聖言の講解への序論』147ページ以降〔第X章であり,邦訳(訳注★4)では省略箇所〕,また『霊界体験記』2938,3217参照。スヴェーデンボリからバイエルへの手紙,1769年11月14日,『ターフェル』U,279-80。
351 『エマヌエル・スヴェーデンボリの霊界日記(体験記)』第T〜X巻,ジョージ・ブッシュとジョン・H・スミスソンによる翻訳,1883-1902年,ロンドン。
352 『ターフェル』T,384。
353 『ターフェル』U,1125-7。『夢日記』55,1744年4月6-7日。
354 『聖言の講解』1003番。
355 『霊界体験記』192 番。1747年8月31日。
356 『霊界体験記』228,243 〔このあたり,著者は自由な引用をしており,原書『霊界体験記』とはだいぶ異なっている〕
357 『霊界体験記』307番,1747年12月5日。604番,1748年1月30日。
358 『霊界体験記』3624番,1748年10月21日。
359 『霊界体験記』1166番,304番。〔この304は原注357に付くべきものである〕
360 『霊界体験記』1092番以降。〔一つ前の引用文が1092番であり,この部分は1099番〕
361 『霊界体験記』4123番。(太字は著者による)
362 『霊界体験記』102番。
363 『脳について』1190番,それ以降も。
364 『霊界体験記』3653,1934,4530番。
365 (参考文献省略)『天界の秘義』5180,816,59,968番。『霊界体験記』2922,2921:b番。
366 『理性的心理学』247,245番。
367 特に,シグネ・トクスヴィクによる最近の伝記。原注333参照。


訳注
★1 guilder,stiver。いずれもオランダの通貨単位。ギルダーは金貨または銀貨。スタイヴァーは小額の銅貨(=1/20ギルダー)。
★2 Peter Hultman はスヴェーデンボリの取引銀行家であり,ホルンスガータンにある彼の不動産(屋敷)の代理人でもあった。この手紙は現存しないが,彼がアムステルダム滞在中の1748年1月終わり頃に書かれたことが,当時,彼の没頭していた『聖書の索引』の余白にその手紙の下書きがあることからわかる。手紙には180リクスダラーをオランダ通貨の現金に交換する証書を受け取った,など金銭に関することが書かれている。
★3 23章「転換期」参照。ハーグで『霊魂の領域(動物界)』を出版したが,科学書著述への興味を失い,翌年,ロンドンで『崇拝と神の愛』を出版したことを指している。
★4 1927年『序論』(邦訳『転身期のスウェーデンボリ』)。第1巻(28年)〜第8巻(48年),「新教会アカデミー」より出版。
★5 これは定説となっていない。1746年6月辞職し,8月7日から聖書の『索引』づくりを開始したが,この『索引』のほうが欄外のメモよりも研究と呼ぶにふさわしい。
★6 シュミディウス版聖書へ書き込まれたもの。(24章訳注★7参照)
★7 現在ストックホルムのスカンセン公園に移され,保存されている。
★8 「エレミヤ書」1:18。
★9 この部分は『霊界体験記』304番。
★10 この部分は『霊界体験記』1092番。
★11 ウンデルリイ,「驚くべき・不思議な・奇妙な(者)」を意味するスウェーデン語。
★12 『脳について』1023。引用された文は,この著作を締め括る最終部分である。
★13 「ある理由」:セネカの原文は「妬み」である。なお,同じ文を『霊魂の領域(動物界)の理法』第1巻の巻頭の題辞として使用している。
★14 『道徳書簡』79。


〔研究誌『荒野』第34号,1999年3月〕