29 The Last Judgment
第29章 最後の審判
『天界の秘義』には人類に降りかかった二つの大審判が描かれている。その第1は最古代教会の終わりのときの「洪水」によって意味されるものである。第二の審判は,古代教会すなわち表象的教会の終わりをしるすものとして,われらの主の十字架刑のときに霊界で起こった。
キリストが世に降臨されたとき,ユダヤ人たちの間では,律法学者やパリサイ人,学者らは,主と主の教えを拒否したが,数にして片手ほどの羊飼いと二,三人の単純な漁師は,昔からの預言が実際に自分たちの時に成就したことを喜んで認めた。キリストの迫害と拒絶は,最古代教会の終りに洪水が起こったように古代教会の滅亡を引き起こす第弐の大審判を人類にもたらした。ノアに始まる表象的教会は十字架で終わった。神殿の幕は裂け,動物の生け贄の効果は消え,儀式的しきたりはその意味を失い,イスラエルの役割は終わった。象徴的な振る舞いによる礼拝は,古代にあったような心からの真の礼拝に場所を譲った。
新しい教会そのとき設立された。それは神ご自身が神的人間性をとられて現実に顕現されたことに基づく“キリスト教会”である。仁愛は再び取り戻され,愛と信仰がもう一度神の御国を支配した。このことは主のご計画による主ご自身の教会のために必然的なものであった。しかし,どのようにその教会は主のご命令「あなたがたはお互いに愛するときわたしの弟子である」を成就したのか?
初期のキリスト教徒たちは,確かに,新しい命令に従い,彼らの善業の中に仁愛の真の精神を注ぎ出した。しかし,キリスト教会のその後の歴史は,とどまることのない衰退を語っている。何世紀間も,地はかつてないほどの血に満ちた。聖書を解放し,人間の考えを自由することによって,カトリックからプロテスタントらが分離し,改革が約束されたが,しかし,早晩,この新しい教会も退廃した。カトリック教会は宗教の名のもとに全世界を支配しようとした。プロテスタントらは,誤った教理で,人間の心に流れ入る霊的な光をさえぎって宗教的な視界を曇らせた。どこにも,欺瞞,偽善,腐敗が横行した。終末は近かった。第三の大審判は――マタイ福音書で主により預言され,黙示録で予告されていた――終局に達したキリスト教会に,すぐさま降りかかり,そしてこれにキリストの再臨が続くであろう。先行する二つの審判は,天界との秩序ある結合から人類がはずれた落ちた結果として起こった。天界との結びつきがなければ,啓発されることは不可能であり,霊的な生命へのこの障害〔誤った教理〕が取り除かれなければ人類は滅びるであろう。数ある中で最大の審判がこの堕落したキリスト教会に行なわれる運命にあった,とスヴェーデンボリは言っている。その教会は内部で腐敗する間に外面的には強力なものになっていた。信仰は形式的な信念となり,仁愛はその名前のもとに外面的な行為から成り立つもの,救いは不届きな政治家たちが売り歩くものとなった。
18世紀はまさに審判の時であった,ヨーロッパでの霊的な生活はかつてない衰退に達していたからである。教養ある知的な人々は,もはや当時の神学の非合理的な教理を受け入れることはできなかった。「もしだれかが上流の社交界で宗教を語るなら,だれもが笑う」とイギリスを訪れたモンテスキュー★1は報告している。不信仰と不道徳は,社会の最高層から最低層にまで恥ずかしげもなく目についた。美徳に対し,社会は批判的で,お上品で〔皮肉〕,無関心で,懐疑的であり,これを愚直なこととおもしろがった。良心などまったく無視して,贈収賄が政治を蝕んだ。不正行為が病気のように吹き出し,不道徳や犯罪を恐れなかった。貧しく無知な多くの人々の群れは,“よい暮らしを追及し,善良な生活を避けた”怠惰で放埒な聖職者たちによって,道徳も宗教的な訓練もほとんど与えられないままに放置された。「この世紀はあまりに虚偽に染まり,それはまさに骨にまでしみ込んだ。物事も限度に達した」とカーライル★2は言っている[398]。
フランスでは,不道徳,不誠実,不信仰があからさまに横行し,革命が勃発するまでに機が熟していた。スヴェーデンボリは,初期の旅行中,カトリック聖職者たちの腐敗を鋭く観察している。自己愛と楽しみの追及はフランスでは精神的な活動の原動力であると公言されていた。ただ単に善のために,人に善行を求めるのは,ばかげたことと考えられた。あらゆる霊的なものは妄想と呼ばれ,肉体的な楽しみは人間の最高の目的と見なされた。「神の存在への信仰は,それが実りのないのと同じく根拠のないものである。無神論が普遍的に確立されないうちは,世界は幸福にならないであろう。肉体の一部を形成する霊魂は肉体とともに滅びる。死とともにすべては終わる――la farce est jouee! (茶番劇が演じられた!)」とラ・メトリ★3は言った。
全ヨーロッパの諸国で最も腐敗した国の一つがスウェーデンだった。「スウェーデンの国民は,イタリアとロシアを除いて,ヨーロッパで最悪である」とスヴェーデンボリは書いた[399]。これは,他国民以上にスウェーデン人には内部に向かう思考の能力があったためであり,彼らはその能力を悪用してしまった。霊界でキリスト教の国々の悲しい状態が,かつて歴史家たちに明らかとなった以上に,私に明らかとなったことをまざまざと描くため,私はこれを見ることを許された,と彼は言っている。死後では「だれが考えることであっても,それはこの世の会話よりも非常に明確に伝達される。その者が考え,信じることと違って語ることはだれにも許されていない……」からである。かつて霊的な視覚が開かれ,スヴェーデンボリは,ストックホルムの当時の主要な交易の幹線道路であるストーラ・ニューガータン★4を眺めたことがあった。そこの家並は窓がないように見え,天使たちは,ここに住む者たちは霊的には死んでいるのだ,と教えてくれた。
スヴェーデンボリは,教義の違いゆえに互いに教会が分離することを教会の腐敗のしるしと見て取った。「……彼らの教理が教えることと異なって信じる者はだれであれ,彼らの宗派から投げ出され,また非難もされる。しかし,盗んでも,容赦なく他人からその所有物を奪っても,もし彼がそれをただ公然と行なわないなら,隣人に対し狡猾に企て……姦淫を犯しても,それでも,もし彼が聖なる儀式を守り,教義にしたがって語るならクリスチャンと呼ばれる。このことから,教会を構成しているものは今日では,生活ではなく教義であることが明らかである」[400]。
腐敗はその極限に達し,斧が木の根元に置かれる★5べき時は到来した。霊たちの世界は,社会や教会の支配者らに道を迷わされていた善良で,単純な心を持つ魂の群れでいっぱいだった。支配者らは,その群れを支配下に置くために聖なる礼拝の式典と教会の古くからの教理を用いていた。惑わされ,苦しむ,これらの忍耐強い“祭壇の下の魂”は,彼らを拘束する偽善的暴君の本当の性質を徹底的に暴露することによって間違った信仰から解放されるべきであった。審判が引き起こしたものはこの暴露である。
スヴェーデンボリが『霊界体験記』で述べた事柄は,これらの状態の証言である。それらはほとんどスヴェーデンボリの伝記の中に繰り入れられていない,おそらく前世代の者たち胃はそれらを摂取するのにあまりに繊細であったからであろう。しかし,より現実的で細心の注意を要しない今日の子供たちは,悲惨な詳細に直面することを恐れない。われわれは,残虐行為の記事で育った世代,以前には酒場の大衆を震え上がらせたであろう罪の寝物語を子守歌の代わりとする人類である。われわれは,スヴェーデンボリの描いた永遠の強制収容所――そこでは毎日,人々が壁を自分の手で叩いている――について読んでも尻込みしない。
そのような事柄は,もし読むだけのことなら苦々しいものであろう,しかし,経験しなくてはならないとき,どれほど衝撃であろうか! スヴェーデンボリが遭遇し,記述した魂は,彼自身の別れた友であり,親戚,仕事仲間,知人であった。彼らの大部分は,政府の高官であった。彼は1年のうちに,30人程の自分の知っていた人物に,それと同数の歴史から知っていた人物に会った,と言っている。彼らは人間が堕落してゆく全種類の悪,節度のない愛――快楽,姦淫,偽善,支配,偽り――を表わしていた。それとともに,彼らの最後の運命の証人となることは痛ましいものであると同じく,極めて危険なものであった。なぜなら,そうした霊らは,しばしばはなはだしい悪意を持っているからである。
われわれは,これら遭遇した者たちに対する彼の客観的で,明らかに感情的でない報告に,また多くのさまざまな友人や知人の不幸な運命に彼が無関心を装っていることに驚く。彼の心は,切開手術を有効なものとするため,清潔で震えないように保たねばならない外科医の腕のようであった。
これらスヴェーデンボリが最初に出会ったと述べた者のうちの一人に大司教がいた。もう一人は司教であり,三人目には国王カール十二世付きの牧師である名高いイェラン・ノルドベリ博士がいた。彼は国王の思い出の記を出版しているが,その一部はスヴェーデンボリ自身が寄稿したものである。彼の会った者たちの多くは,1744年に死んだアダム・レイエル[401]といった鉱山局の同僚たちである。スヴェーデンボリは,レイエルは外面的には才能と賢明さに恵まれた健全な道徳家であった,と言っている。この世で彼と交際していた間は,アダム・レイエルは正直で高潔であったこと以外に何も知らなかった,しかしあの世で,彼が非常に悪い者らと交わっているのを見つけた。最初,彼はレイエルが改心することを望んだ,彼はよく推論し,真理を理解できるからである。しかし,彼は「単なる自然的な生活」を送ったことが明らかとなった。彼は自分の推論を悪と虚偽を確認するために用いたので,彼を矯正するには長い時を要するであろう。「正直な者を改良するのに,どれほど多くの時を要するかが知られている。そのような人間には,さらにどれほど多くの時が!」 ここから,人間を救うものは,よく推論し,物事を把握する能力ではなくて,その者の生活の質だけであることがスヴェーデンボリに明らかとなった。
スヴェーデンボリは若かった頃,他の鉱山局の一員である監査官ヨハン・ベリエンシェルナとしばしば調査の旅に送り出された。この世では,ベリエンシェルナは,隣人,国,教会と神を愛する大いに尊敬すべき人間と見なされていた。彼が死んですぐあと,スヴェーデンボリが彼に会ったとき,彼の外面的な高潔さはかなぐり捨てられていた――この世ではいつも単なる外面的な敬虔さを装っていた――そしてベリエンシェルナは偽善家で,慈悲を欠いた,自分以外にだれも顧みない者であることが明らかとなった[402]。
以前の友について,彼は言う――
私のよく知っていた者がいた,私はその者に他のだれよりもよく世話をしてやり,また彼もいつでも私を友と見なしてくれたようだった。この人物は数か月の間,私と一緒であったが,常に悪をたくらみ,私を苦しめることを密かな方法で学んでいた……。私は,私が彼のために行なった友情の行ないを彼に思い出させた,しかし無駄だった。彼は私を苦しめ続けたが,それでも彼にはそのほんの少しの理由もなく,ただ単にだれかに不幸を加えるある種の楽しみに駆られてのことだった。そうした者があの世の悪人である……。彼は,孤児,やもめ,不幸な人を何ら気にもせず,自分の名誉を促進させることのできる,あるいは自分の略奪行為を金で後片付けしてくれる金持ちにこびへつらった。彼は実際にこれを打ち明けたのである[403]。
人間性を包囲して攻撃してくるすべての悪の中で,支配のための支配の愛は自分だけでなく他人にとっても最も破壊的なものである。この悪魔的な衝動は,霊魂に取りつき,終には地球だけでなく全宇宙をも支配しよう,そして全能の神のようになろう,とすら思わせる。霊界でのこの一例は,この世では美徳,敬虔,鋭い知性の典型であった国王カール十二世であった。若き日々,スヴェーデンボリは国王をよく知っていた,ルンド,ヴェーネルスボリ,ストレームスタッドでは毎日一緒だった。この世で生活中に彼らの間に起こったすべての事柄が霊界で思い出され,そのとき,スヴェーデンボリに対する国王の気持ちが好意から怒りに変わらなかったなら,スヴェーデンボリの永遠の魂は破滅の危険があったことが明らかとなった。それほど彼はこの英雄に強く傾倒していたのである。その当時のスヴェーデンボリの手紙から,彼が非常に敬服していた国王と言い争ったことが明らかである(51ページ参照〔第7章“野望と挫折”〕)。霊界で,栄誉への狂った愛にいる国王が自国やその人民のことを少しも顧慮しないでいたことが明らかとなった,と彼は言っている[404]。国王は,一度定めた目的はけっして諦めない,最もがんこな人間であった。彼の執拗さの強烈なことは「この惑星の範囲内には」だれも存在しないほど大きなものだった,それゆえ,あの世での彼の仲間は宇宙の他の地球の霊らであった。カール十二世の配偶者は彼自身の気質に似た女であり,彼よりもさらに頑迷で,ついに彼女は彼を従えてしまった。
聖書でたびたび用いられる“バベル”や“バビロン”という表現の真意を知るために,スヴェーデンボリはこの世の生活で非常によく知っていた男を示された――ファールン鉱山地区の管理者で,説得力の才能に非常に恵まれた知性ある控えめな人物,アンデルス・スヴァーブである[405]。自分に好意を持った者すべてに,スヴァーブは報いた,しかし,自分と対立した者はだれでも迫害した。彼が管轄したどんな社会にも,彼は不和と憎しみの種をまいた。スヴァーブが来る前まで,ファールンの人々は素朴で実直であったが,彼はその地区の住民を内的には他のどんな地区の者よりさらに邪悪な者となるほどに,賄賂で腐敗させてしまった。
スヴェーデンボリは,スヴァーブがあの世で,狡猾な手段によって,再びこの世で治めていた者たちを支配しようとしているのを見出だした。この世で生きている間,スヴァーブと彼の仲間は,自分と自分の追随者たちだけが聖書を理解すると人々に告げることで,人々が聖書を読むことを妨げ,こうして霊的な事柄で権力を得ることに用いた。彼は,血液に入り込み,これを腐敗させる毒のような人物だった。この経験からスヴェーデンボリは,バベルの性質,すなわち,神として崇拝され,服従されることを望む者の状態を看破する力を得た。
エーリク・ベンセリウスの弟で1747年に死んだ大司教ヤコブ・ベンセリウスは,スヴェーデンボリがこれまで知ったことのある最も欺瞞に満ちた男であった。彼はスウェーデンで最も勢力のあった人物の一人であり,その学識は高く評価されていた。しかし,この善良そうに見える男は,内的には欺瞞にどっぷり漬かっており,他の者からその霊的な洞察力を奪い取る影響力を持っていた。自分自身の策略のために多くの辛酸をなめた後,ヤコブ・ベンセリウスは解放されることと天界を望み始めた。あの世ではすべての願いが適えられるので――そこのすべての事柄は情愛によって支配されている――彼は異なる社会を訪れることを許された。しかし彼はどこでも不満とされた。彼は少しの間,単純で善良な霊たちの社会にとどまることを許されたが,彼らを支配しようとの思いを我慢できなかった。彼が教え始めると,彼らは善良で,彼を拒否しようとは望まなかったので,彼の話しを聞いた。しかし彼がしばらく一緒にいた後,彼らは自分たちの精神を鈍らせる彼の影響力に不満を訴えたので,大司教は去ることを余儀なくさせられた[406]。
その後,彼は「第二の天界の入り口で」,ある霊を説得して,スヴェーデンボリが滞在していた社会へ入れるよう手助けさせた。光の天使のふりをして,腕に幼児を抱き,無垢を装って,彼はスヴェーデンボリを害虫のように蝕み始めた。その策略が発見されると,彼はこの天界からも投げ出された。どれだけ罰せられたても,彼は依然とその悪い気質を保持し,あたかも,他人を苦しめる喜びの火に燃えているように見えた。そうした霊は,最後には黒焦げの骸骨のようになる,と言われている。
あの世で,スヴェーデンボリは,友であり隣人である鉱山局の総裁フレデリック・イレンボリ伯爵に出会っている。二度の機会に,彼は,母と義理の母から相続した遺産を伯爵に売っている。イレンボリは快活で,愉快な親切な人物であり,ハット党で最も権力のある政治家,顔の利く廷臣の一人であった。彼は生涯の終わりまで神を認め続け,来世では自分の欲しいあらゆる物のため神に熱心に祈った――しかし,主イエス・キリストではなく,“父なる神”にである。隣人に多くの善を行ない常に敬虔で分別をもって語ったこの男は良心をまったく欠いていた。彼の慈善行為は利己的な動機からなされたものであって,死後,ほんとうは自分以外のだれも意に介していないことが明らかとなった。国全体が滅び,隣人全員が殺されても,ただ彼が支配を許され,それによって利益が得られるなら,彼にとって何ら重要なことではない。主により守られている者をすべて,迫害しようとした。彼は殺すほどの憎しみでスヴェーデンボリを憎み,敵意を抱きながら彼を攻撃するあらゆる機会を探り,説き伏せる技術でもって,滅ぼそうとした。彼は,「私は個人的にはスヴェーデンボリに何も反対するものはない」と言った。彼が取り除きたいと欲したものは天界からの流入であり,そうしてスヴェーデンボリが「書き記されなくてはならないもの」を書けないようにすることであった。この破滅的な霊は最後には洞窟へ連れ去られ,この世で持っていた魅力をはぎとられてしまっているそこの他の霊たちの間に,半ば死人のように座った[407]。
あの世で,すべての霊の中で最悪の者は,幻想によって処女の愛らしい形を自分に引き起こし,ほとんど天使のような美しさをもって男たちを破滅へと誘惑する悪女,セイレーン★6である[408]。「支配と利得を願う男の情愛の中に,どのように入り込もうかとたくらみ,自己愛と自尊心をそそのかして,……それでも心では男たちをまったく軽蔑している」。ほとんどのセイレーンは,この世でまったく外面を飾ることだけに熱中し,その一方内面では良心を欠き,優雅な暮らしに溺れていた者らである。無垢を装い,巧みに飾り立て,「彼女らは男の善の情愛に忍び込み」その財産をつかみ取ろうとする恐ろしい目的には気づかせないで,とりこにして,男を欺き,破滅させる。犠牲者〔男〕たちに自分たちは慎み深く敬虔であると確信させ,セイレーンはほとんど天使たちですら誘惑できる。「彼女らの一人が一緒に私を地獄に連れて行こうとした」とスヴェーデンボリは言っている。彼女らは真の結婚愛を伴っているような快楽によって男に近づき,この天界的な愛を人間的なものはそこに何も残らないほど醜いものに変えてしまう。「彼女らに抵抗できると思うであろうが,だれもそのように狂わないようにせよ」「彼女らから逃れる唯一つの望みは神の助けにある」「いったん姦淫を,そうした事柄を許されると見なした者はだれ一人,その生涯の終わりまでも,セイレーンのとりこになってしまうことから逃れられない。……それゆえ,男たちは悪を実践しないよう気をつけられよ!」なぜなら,行為は習慣を生み,習慣は強まり,男たちは,木の葉が急流に運ばれるようにセイレーンによって連れ去られるからである。
あの世では,セイレーンらは莫大な手に負えない一群となってうろつき回る。彼女らは聖なるものに汚れたものを混ぜ合わせ,魔術を用いるので,彼女らを根絶するのは困難である。セイレーンらは,異邦人の地域からでなくキリスト教が広まっている地方からやって来る。そうしたうろつく魔女らの数は,今日では前の時代よりもはるかに増大している,とスヴェーデンボリは言っている。彼女らは西方の山の洞穴に一緒になって住み,そこから周囲のすべての者に群がる。彼女らの悪行は,彼女らに数時間も続く拷問を生み出す。ねじ曲げられ,引き裂かれ,最後に彼女らは,髪の毛ばかりで黒い,人間の顔ではない死体に似てくる。
あの世では,悪人の顔は人間の形を失い,怪物となるが,善人は美しい顔を持つ。スヴェーデンボリはかつて,自分の家庭教師ヨハン・モラエウスと鉱山局の監査官の一人であるハンス・ビイェルクに会った。彼らは以前の顔とまったく異なった顔で現われ,「あなたはビイェルクがいるのがわかりますか」と質問されたスヴェーデンボリは最初,「いいえ」と答えた。そのときビイェルクは愛の教義を瞑想していたので,輝いた整った顔立ちをして,乗り物に座っている姿で見られたのであった[409]。
スヴェーデンボリには,ウプサラの大監督に任命された直後の1743年に死んだエーリク・ベンセリウスよりも大いなる愛情を抱いた者はいなかった。あの世で彼は「外面的には尊大に,それでも内面は善良に」現われた,とスヴェーデンボリは記している。最初,彼にはすべての知恵を記憶に帰す傾向があったため,ひどく苦しんだ。この傾向は彼の頭脳に堅苦しさを生み出し,善良なものである彼の内部の状態が現われてくるためにこれは除かなければならないものだった。除くのは苦痛を伴ったきびしい試練であったが,その後では,ベンセリウスは天使たちから喜んで教わろうとする幼児のようになった[410]。
スヴェーデンボリの古くからの友,隣人であり,機械におけるスウェーデンの天才クリストファー・ポルヘムの状態は非常に異なっていた。1751年8月31日に死んだとき,ポルヘムは93歳であった。あの世での彼の状態について,スヴェーデンボリの報告は好ましいものでなかった。
「ポルヘムは月曜日に死んだ。彼とは木曜日に話した。私が彼の葬儀に参加しているとき,彼は自分の棺とそこにいる者たちと行列すべてを,また自分の身体が墓に収められる様子を見た。その間中,彼は私と会話し,『まだ私が生きているのに,なぜ彼らは私を埋葬するのか』と尋ねた。彼はその後,『なぜ牧師は私が最後の審判のときに復活する,と言うのか,私はもうある時すでに生き返っているのに』と尋ね」,彼はそのことに驚いていた。
ポルヘムは常に機械装置の組み立てについて考えていたので,彼がこの世で獲得した想像力はあの世でも依然として残存した。そのところで彼は他の者たちに,鳥,ねずみ,猫,その他のものを思考と観念から,どのように作り出すかを教えた。スヴェーデンボリは後になって,頭の回りを白いリンネルの帯でくるんだポルヘムを見た。その帯は,自分はすべての人間の中で最も賢く,何でも知っているから,自分の言い出し,考えたものは何でも真理であるという彼の強い説得力のしるしであった。そうした性質の霊はすべての知性を失う[411]。
1754年に死んだ誉れ高きドイツの哲学者クリスティアーン・ヴォルフ★7もポルヘムと同様であった。この世にいる間ですら,ヴォルフは自然主義者だと非難されたが,ハレ大学に復職すると人気取りのため信心深さを装った。死後,彼は自然以外にはどんな神をも信じていないこと,無から直接に創造された単純な物質という彼の理論で,神学者たちの心をとりこにしようとしたことが明らかとなった。神は決して見られも聞かれもしない,もし神が存在するなら,神はご自分を人間の前に示されるであろう。霊魂は死ぬと消滅する息でしかない。最後の審判を期待するのは空しい。星は,予言されているように,天から落ちるはずはない,それらは地球よりも大きいのだから,と彼は論じた。“ヨーロッパの光”と呼ばれることを欲したこの男は,今では,ばか者とうすのろの間に住んでいる,とスヴェーデンボリは言っている。彼の外観は煙突掃除人であり,その学問は息苦しい埃に変わった[412]。
スヴェーデンボリが『生命の書』について述べていることは非常に意味深い。その『書』はあらゆる人間の性質の中へ書き込まれている,と彼は言っている。人間のすべての思考や言葉や行為が,最も小さな詳細にわたるものまでが,この本に書かれる。彼は,数人の役人が『生命の書』が開かれ,査問されたことを証言している。彼らの一人であるポラト監査官は,個人や国家の金庫から総額で約39,000リクスダラーの金を盗んだことが発見された。別の監査官セデルステトはいろいろな人から,別々に合計300ないし400もの物を盗んでいた。1時間の間,これら全部が彼の記憶から読み上げられ,彼は最後の細部まであらゆる事柄を思い出し,認めた。スヴェーデンボリは,それぞれの事柄が一つの間違いもなく順序通りに数え上げられたのを聞いて驚いた。立ち会ったすべての者は,罪を犯した本人ですら,このような詳細までも書かれている,そうした『生命の書』が存在することに驚いた。(驚くべき記憶源として現代心理学で認められている潜在意識と比較されたい!)[413]。
スヴェーデンボリの若い頃に関する文書の中に,アクスマルでの溶鉱炉の権利について彼の叔母ブリタ・ベームとのたくさんの訴訟の記録がある(96ページ以降参照〔第13章「鉱山局」〕)。スヴェードベリ司教は,スヴェーデンボリの母の姉であり,ストックホルムで85年の生涯のほとんどを未亡人として過ごした,この富裕で,鋭く精力的な女性を,彼女の大資産の有能な管理人として賞賛している。スヴェーデンボリは,請願書の一つの中で,このどちらかといえば公正な婦人が自分に対し非常な不正を行なったことに,驚きを表現し,他人によってそそのかされているのだろうとほのめかしている。彼は,後になってこの叔母と和解していることが明らかとなっている,また一度,彼女とともに壮麗な馬車に乗って夢のように楽しい食事に行った,と述べている。ブリタ・ベームは1757年に死に,彼女の死後3日してから彼女と話した,とスヴェーデンボリは言っている。彼女は,彼の目を通して,自分の葬式を見たが,その行事はその時代の様式に従った堂々たる,目を見晴らせるものであった。
ブリタ・ベームはだれか他の者に仕向けられて自分に対する訴訟を起こしたのではないか,との彼の推測は,彼があの世で,自分の同僚であり,妹ヘドヴィクの夫であるラルス・ベンセルシェルナに会って立証された。ラルスは,1755年に死ぬ前に,王室参与官となり,王立科学協会の会長となった。彼の父と大司教である3人の兄弟の際立つ性質は持たなかったが,ラルスは説得力の異常な能力に恵まれた深い学問のある者と思われていた。スヴェーデンボリは,概して,彼を決して好んでいなかったようである。スタルボの鉄工場の共同所有者として,エマヌエルは彼を「いくぶん不愉快な者」と感じていた。彼は,父の遺産を分割するとき明らかに不正を働き,エマヌエルの弟は,ラルスが自分の正当な取り分を奪い取り,そして公平な解決を願って出した多くの至急の手紙に答えるのを拒否した,とひどく不平を漏らした。
ラルス・ベンセルシェルナは生来の憎しみから不正を行ない,自分の友以外のすべての者を迫害した者たちの一人である,というのが『霊界体験記』の中で彼に対するスヴェーデンボリの最初の言及である。彼は,多くの単純な霊たちに誠実な声を装って「ご協力をお願いします」と請いながら,彼らを自分の側に引き寄せることができた。スヴェーデンボリに対しては,心に執念深い憎しみを抱いており,あの世では,何千もの悪霊の集団の指導者となり,魔術で彼を滅ぼそうとした。
ある日記の最後のページに,この人物の恥ずべき行為の長大な一覧表を含んだ断編がある。ブリタ・ベームをアクスマルでの訴訟へとけしかけたのはまさにラルスであった。遺産問題での彼の不正な行動が記されている。彼は賄賂を受け取った。娘を堕落させた。かつてスヴェーデンボリを,彼らが氷の上を滑って横切っているとき,そりをつき落として滅ぼそうとした。別の時には,彼を刺し殺そうと企てた。その他の恐ろしい事柄も。これらの隠れた意図についての物語は明らかにベンセルシェルナの『生命の書』の一部である[414]。
こうした落胆させられるような探索の最中に,善良で,非常に知性のあったリデリウス司教という人物について読むのは救いである[415]。彼は,来世で最初,信仰のみの教義が与えられている都に住んだ,というのも,他の者らと同じように,彼は,人間は信仰のみによって,瞬間的に,死の間際ですら救われることができる,どのように生きてきたかは問題とせずに,まったくの慈悲の賜物として天界が与えられる,と思ったからである。善良な霊たちに囲まれ,こうしてリデリウスは守られ“和らげられ”て,天界の楽園へと導かれ,そこで多くの事物を見て,驚嘆した。そこに住む者たちは彼に,自分たちのところにとどまるよう望んだ,しかし,そのために彼はまだ準備していなかった。彼は天界の光に耐えることはできたが,その暖かさに苦しんだ。天界にとどまりたいかどうか問われて,リデリウスはそのとき,「いいえ,少しも!」と答えた。
スヴェーデンボリは,霊界ではしばしばいろいろな動物――鳥・羊・馬・ラクダ,ゾウや犬――が現われると述べている。彼はかつて堂々とした馬が前へ後ろへと速く歩いているのを見た。それはリデリウス司教だった。彼は意志と理解力について瞑想していたのでこの形をとって現われたのであった。
「あたかも信仰の真理が最初の位置にあるかのように思える。しかしそれでも,これと反対に,善が最初にやって来るのも明らかである」と彼は考えていた。彼があれこれと熟考することが,スヴェーデンボリの霊の目に,馬があちらこちらへと走るように現われたのである。しかし,その司教に彼が,「自分自身はどのように見えましたか」と質問すると,彼は,「何も気づきません。私はこれまでずっと自分の部屋にいる一人の男でした」と答えた。
政治家スヴェン・ライェルベリもまた祝福された者たちの間にいた[416]。彼は強力な“真理のスフェア”を持ち,これに守られ,地獄を旅すること,そして魔術者たちの暗黒の地獄,ぬかるみと汚れた物に苦しむ好色者たちの地獄,妖怪の出没する冒涜する者たちの奈落の地獄で見たものを書きとめることができた。悪者は逃げるか,無力になって彼を害することはできない――真理を根源とする者はそうした力を持っている。スヴェーデンボリはライェルベリをエーリシュオン★8に連れて行かれたアイネイアース★9にたとえている。
ライェルベリは恵まれていた,とスヴェーデンボリは言っている。なぜなら,彼は,非常に多くの政治家の場合のように,自尊心からでなく――この自尊心が政治的問題をあるがままに見ることを,そうして自国にとって何が善く,何が害となるかを識別することを妨げる――自国によかれと願い,その利益に努力したからである。この世では,貴族の胸に爵位を示す記章が“天使”“剣”“北極星”の順位で飾られる。しかしあの世では,自己の大物振りを際立たせるといったものだけのために働く者は名誉を剥奪され,その任務から追放され,施し物を請うようにさせられる。爵位の記章は,スウェーデンの貴族に悪い影響を及ぼしている,と言われている。スヴェン・ライェルベリは,自分が記章を身に付けるときはいつも自由に考えることができなくなり,家に帰って,職務上の服を脱ぎ捨てるとすぐさま以前の判断力が戻ってくることを発見した。このことは,彼が爵位の記章を身に付けるとき,彼は虚栄心をもつ霊たちの影響を受けるからであった。良い家系の多くのスウェーデン人たちは,目立ちたいために威厳を装い,称号をひけらかす,とスヴェーデンボリは観察している。
スヴェーデンボリはあの世で善良な気質を持った者たちに会ったと記しているが,そこにウィリアム・ペン★10がいた。「ペンシルヴェニアの地名はペンに由来する」。ペンは地位が高く,立派に語った。彼は自分の後に続いた多くのクエーカー教徒らの邪悪な性質を持っていなかった[417]。
クリスティーナ女王は,優雅な家に住み,ローマカトリックの枢機卿★11らと快活な議論を交わし,彼らをからかいながら,主は神でも人間でもあられ,教皇よりもまさる方であると告白させた,と記されている[417a*]。聖ジュヌヴィエーヴ★12は,聖なる美しさで輝く顔を持っていると描かれている。彼女は,「自分は普通の女の人以上の者ではないのに,崇拝されている」と残念がっていた。一度,聖母マリアが,雪のように白い衣を着て,通り過ぎるのが見られた! 彼女は,「主は実際に私から生まれました。しかし,主は母に由来する人間的なものを全部脱ぎ捨て,神となられました。それで,今では主を私の神として崇拝しています」と言った[418]。
スヴェーデンボリは,来世で幸福に生活している自分の母と義母とも,そして彼が望むときはいつでもエメレンティア・ポルヘムとも語った。彼女の姉マリアは不幸な者たちの間にいたようである,彼女は生活の喜びを,上品で贅沢な暮らしの中においたからである[419]。
「人間には無意識のうちにその者に憎しみを抱いた死人が群がっている」と彼は言っている。この世にいたときスヴェーデンボリが自分との結婚を望んでいるとの空想で自分自身を欺いた女サラ・ヘセリアがいた。彼女はこのことで失望している自分に気づくと,致死的な憎しみに襲われた。彼女は死後,小刀をつかんで自分のいのちを絶ってしまいたい思いを〔スヴェーデンボリに〕吹き込んだ[420]。
* * * * *
これらのまた多くの注目すべき事柄をスヴェーデンボリは『天界の秘義』を執筆中に書き記している。それらのあるものは印刷された本に,しかし,名前も与えないで挿入している。世は彼を信じるだろうか?
毎年,当時,ロンドンの出版社「ジョン・ルイス」から新刊が出された。それでもまだ,これらの目覚ましい著作の著者がだれであるか,だれも知らなかった。最初の宣伝の後,その著作への注意を喚起するような何らの試みも記録されていない。
ドイツの雑誌『学術新報』は4ページの記事でもって『アルカナ』の第1巻を,ある敬虔な幻覚から,恍惚状態のうちに書かれたに違いないと観察し,好意的でない論評している[421]。
スヴェーデンボリは『天界の秘義』の第3巻で,主が“エルサレムの陥落”と“時代の終わり”[脚注]を述べている「マタイ福音書」第24章の解説を始めた。弟子たちがオリーブ山からイエスに宮の建物をさし示したとき,イエスは弟子たちに,「ここでは,くずされずに,石が石の上に残ることは決してありません」と語られた。「お話しください。いつそのようなことが起こるのですか。あなたの来られる時や世の終結にはどんなしるしがあるのですか」と弟子たちが尋ねたとき,主は,戦争や戦争のうわさ,国は国に対抗して立ち上がり,ききんと疫病と地震と大きな苦しみがあり,それから太陽と月は暗くなり星は天から落ちる,と語られた。「そのとき,人の子のしるしが天に現われます……」(マタイ24章,1-7,29節)。これらの言葉は教会の終わりに言及している,とスヴェーデンボリは言っている。太陽が暗くなることは,愛と仁愛が消滅することを,月が光を失い,星が天から落ちることは,信仰と信仰の真理が滅びることを意味している[422]。マタイ福音書のこの章の内意は,スヴェーデンボリが予言された審判を初めて体系的に取り扱って解説したものである。
『天界の秘義』の最終巻は1756年に出版され,その時スヴェーデンボリは詳細な項目の索引作りに没頭していた。このことは,次の預言全部に言及する箇所を抜き書きすることへと彼を導いた――「私は開かれた天を見た。見よ,白い馬。それに乗った方は,『忠実また真実』と呼ばれ,義をもってさばき,戦いをされる。その目は燃える炎であり,その頭には多くの王冠があって,ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて,その名は『神のことば』と呼ばれた……」(「黙示録」19章11節以降)。
このように,主は“みことば”として表わされる,そしてその内意を開示した,とスヴェーデンボリは言っている。予言された審判が成し遂げられるのはこの開示によってである。抜き書した箇所は『白い馬』という題名の小冊子として出版された。
また,『アルカナ』から,新教会に関するばらばらな教えをすべて,体系的な形で抜粋して,後に『新しいエルサルムとその天界の教え』として出版した。「私は,新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去ったからである。また私,ヨハネは,聖なる都,新しいエルサレムが,夫のために飾られた花嫁のように備えられて,神から天界を出て,降りて来るのを見た……」(「黙示録」21章1 節以降)
スヴェーデンボリが霊界での驚くべき変化を証言したのは,この著作の下書きの後のことらしい。全キリスト教世界が17世紀間待っていた出来事が霊界で起こった,と言明している。「最後の審判はすでに完成した。私は自分の目でこれを見た……」
多くの者が『アポカリプス(黙示録)』と呼ばれる預言的な本を解説してきた,しかし,これまでだれひとりその預言が歴史的な出来事でなく,キリスト教会の状態に言及していることを理解しなかった,と彼は述べている。多くの者は最後の審判を,その心の中で次のように考えて否定した――
これほど広大な天が,太陽と月がこれほど多くの星と一緒に,どうやって滅び,消滅すのか? 地球よりも大きな星が,どうやって天から地上に落ちるのか? うじ虫に食べ尽くされ,腐敗によって消滅し,風に拭き散らされた肉体が,霊魂のためにどのように再び集められるのか? その間,霊魂はどこにいるのか? ……かつてだれが天界からやって来て,われわれにそれ〔永遠の生命,天界と地獄〕が存在すると告げたことがあるか? 地獄とは何か? いったいそんなものはあるのか? 人間が永遠の火に苦しめられることに意味があるのか? 審判の日とは何か? それは何世代も空しく期待されてきたではないのか? 〔15〕
最後の審判は地上では起こらない,創造の初めから生きてきた者がすべて一緒に集まっている霊界で起こる,とスヴェーデンボリは宣言している。〔45〕
最後の審判が始めから終わりまでどのように成就したか見ることが私に許された。バビロンの滅亡の様子,“竜”によって意味される者らが深淵に投げ込まれた様子,それと天界に「新しいエルサレム」によって意味される新しい天と新しい地が造られる様子である。私がこれらを証言できるようにと,これらすべての事柄を私自身の目で見ることが許された。この最後の審判は1757年の初めに始まり,その年の終わりに完全に成就した……〔45〕[423]。
審判は最初にローマカトリック教徒,それからマホメット教徒,そして異教徒,最後にプロテスタント教会に行なわれた。「倒れた,大バビロンは倒れた!」 バビロンは,宗教を手段として支配することを欲するすべての者らから成る。法王らが,霊魂を救う主の神的な力を自分たちに転移させたように,彼らは権力の手段として神的なものを用いるのである。彼らは救いと罪の許しを売り物にし,自分らの法王がキリストのこの世での代理人であると主張し,神のみことばに存在する神的なものよりもローマ法王の教令のほうが勝っていると認めた。彼らは,礼拝のすべてを外なる信心深さに置き,聖徒,骨や遺物を偶像化し,奇跡を行ない,心を神への崇拝から人間への崇拝へそらせた。
ここでは,スヴェーデンボリが『最後の審判』の著作の中で描いた驚くべきドラマを細目まで述べることはできない。その多くは現代の戦争の描写と似ていように感じる。彼は,「バビロンの国」が霊界の広い範囲に広がった様子を述べ,彼らの都市や山の要塞,彼らの秘密の宝物,壮麗な展示品を描いている。
審判の最初の段階は,“視察”と呼ばれ,その間に,悪人は彼らの内側の性質について調べられる。次の段階は,善人が悪人から分けられ,安全な場所に移される。悪人たちが感知するような地震や激しい震えがこれに続く。都にいる者たちは,彼らの宝物を携えながら地下室や洞穴に隠れようとして,あちこちに走る。山々は全部,大きく口を開けた深い裂け目の中に,倒れ,飲み込まれ,沈む。最後に激しい東風がその地の基を振り動かし,無数の悪霊らが西方の海の黒い水の中へ投げ込まれた。暗闇が天を覆った。これらの霊のある者らは,心の単純な者たちを,彼らの宗教的な儀式の力によって支配しながら,中世以来,彼らのとりでに住んでいた。セイレーンは,深く隠れていたが,その山の根城から追い出された。
霊たちの世界は,こうして悪霊が横行することから自由になり,天使たちは正しい者が解放されたので喜んだ。すべての内的に善良な霊たちは教えを受けるために天界に上げられ,今ではもはや霊たちの世界に,悪人が敬虔な素振りによって善人を支配できる社会を形成することは許されていない。
* * * * *
最後に大審判を受けるべきものは,霊界の中心に自分たちの壮大な砦を持っているプロテスタントまたは改革派の教会である[424]。彼らは信仰を持ちながらも悪い生活を送り,宗教に関して争う悪魔のように現われていた。
腐敗したプロテスタントの霊たちの会衆が,人々がもはや啓発されないように,霊的な太陽をおおい隠し,その光をさえぎることのできる妨害の雲を形成した,と語られている,「なぜなら,すべての啓発は,天界を通して,それと内なる方法によって主から人間にやってくるからである」。そうした悪質な霊たちの会衆によって妨害されるようになっていたのは,この「内なる方法」であった。
そのとき,主は輝かしい雲の中に見られ,滅びようとしている者たちは集まって,しっぽを曲げて天に向けて延ばしている巨大な竜のように現われた。「この表象を見ることが許された」とスヴェーデンボリは言う,「私が知り,黙示録の竜によって意味される者ら,すなわち,みことばを読み,説教を聞き,教会の儀式に参加するが,自らに付きまとう悪の欲望を気にもせず,内心では盗み,偽り,姦淫とわいせつ,憎しみと復讐を企てる者ら何であるが知られるためである」。
天使たちは彼らを視察し,悪を行なうことをやめるよう強く勧告するが,彼らは天使たちに襲いかかり,ひどい仕打ちをした。審判の後,彼らの壮麗さは消えた。彼らの宮殿はみすぼらしい掘っ立て小屋に,庭園は澱んだ水溜まりに,寺院はがらくたの山に変わった。彼らの住んでいた丘陵ですら,彼らの堕落した気質に対応する砂利の山に変わった。激動が続き,悪人は澱んだ湖に投げ入れられ,不毛の砂漠に追いやられ,最後に深淵に,黙示録の第20章に語られている「底知れぬ所」に閉じ込められる。この薄暗い洞穴へ,多くの偽善者や冒涜者,スヴェーデンボリの個人的な知人,「彼らの悪の容量が満ちた」者らが投げ込まれた。そこで彼らはただお互いを苦しめ合うのである。
最後の審判がこうして全部完成した後で,天界に喜びが,霊たちの世界では以前には決してなかった光があった。天界と地上の間に割り込んでいた地獄的な社会が除かれたからである。「そのとき同じような光がこの世の人々の間にも起こり,新しい啓発を彼らに与えた」[425]。「そのとき私は,下方から上がって来て,天界へ上げられた多数の天使的な霊たちを見た。彼らは,これまで長い時代,「竜たち」の悪意ある影響下に来ないように,そして彼らの仁愛が窒息しないように,主により保持され,守られてきた羊たちである。これらの者たちはみことばで“墓から出てきた者たち”また“イエスの証しのために奴隷となった者たち”によって意味される者たちである。……」。プロテスタントたちへの審判を描いたこの小冊子は1763年まで出版されなかった。
霊界でもたらされた最後の審判による大変化は,その外なる形に関して自然界には何の変化も生み出さないので,現世の状態は以前とまったく同じに続くであろう,とスヴェーデンボリは言っている。戦争や平和といった事態は,これまであったようにこれからもあるであろう。影響を受けるのは心の世界である,というのも,この審判は人々の心の世界で起こったことだからである。そしてこのこと以降,人間は信仰の事柄をより自由に考えることができたのである。霊的な自由は今や回復され,すべての事柄は今や秩序を取り戻した。将来のことは主おひとりが知られるが,しかし,霊的な補囚は破られ,人間はもし望むなら内的な真理を今やさらによく把握することができる。それでもまだ,その時代のキリスト教徒よりも,中央アフリカのある原住民に,「天使たちは新しい教義が受け入れられることに多くの希望を持っている」,とスヴェーデンボリは言っている。何よりも仁愛を優先させた異邦人になぞらえて,そうした人々のほうが信仰において基本的であることをほのめかしているのである。
自分がこうした非常に詳細な事柄を述べたことの真実性について,彼は「どんな者が,こうした事柄を自分自身から引き出すことができようか?」と叫んでいる[426]。
脚注* 『欽定訳聖書(Authorized Version)』では,ここは“世界の終わり”と訳されている。
原注
398 ジョージ・トロブリッジ著『スヴェーデンボリの生涯』ロンドン,1913年,第T章「18世紀の宗教」参照。
399 『霊界体験記』5711番以降,1757年3月に書かれている。〔この引用文そのものは『霊界日記』5043である。ストックホルムの“新しい通り”を見たときの記事が5711番である〕
400 『天界の秘義』4689番。
401 『霊界体験記』4461,4543,4488,4564,4654m,4718m番。
402 『霊界体験記』4351,4396,5132-3番。
403 『霊界体験記』4375。
404 『霊界体験記』4375,4704,4741-52,4763,4768,4900番。他の参考文献省略。
405 『霊界体験記』4627m,4701以降,4835,4839,4842-3番。
406 『霊界体験記』4630m,4751m,4753m,4763m,5751番。
407 『ターフェル』T,698 。『霊界体験記』4740,5161,5976,5983,5984,5996番。
408 『霊界体験記』204,4594,3699,2963,3712,3194,3207,4478-9,4373,4448,5486,4344番。
409 『霊界体験記』4717番。
410 『霊界体験記』4749番。
411 『霊界体験記』4752m,4722,5059,4757m,6071番。
412 『霊界体験記』4744,4727-8,6049番。『霊界体験記』4550番の記事は1754年に亡くなった哲学者クリスティアーン・ヴォルフではなく,1739年に亡くなったハンブルクの牧師ヨハン・クリストファー・ヴォルフに言及している。この箇所は1751年に書かれている。『ターフェル』T,618参照。T,690と比較せよ。
413 『霊界体験記』4702-3番。
414 『夢日記』1744年7月14-15日〔216番〕。『霊界体験記』4856,4851,5052,5065,5898番。『ターフェル』T,365 。
415 『霊界体験記』4698,4706-7番。
416 『霊界体験記』4683,4781m,4786m,5461-3,5479,5867,6028番。他の参考文献省略。
417 『霊界体験記』3814番,『最後の審判,続編』(原注424)84,2番。
418 『霊界体験記』6087,6091,5834番。『真のキリスト教』102,827。
419 『霊界体験記』4181-2番; 『ターフェル』T,50;『霊界体験記』4729,6025番。
420 『霊界体験記』4530番。
421 同『新報』1750年5月4日,第36号。
422 『天界の秘義』第3巻。
423 De Ultimo Judicio, et de Babylonia Destructa… (『最後の審判とバビロンの滅亡』) ロンドン,1758年,45,15,46番以降。『黙示録講解』1。
424 『最後の審判,続編』(1763年)の中の「改革派への最後の審判について」14番以降; 9-11番。
425 同書,12,30,31番。
426 『最後の審判』(原注423)73-4番,『最後の審判,続編』(原注424)7番。
訳注
★1 Montesquieu(1689-1755);フランスの哲学者,政治学者。主著『法の精神』でイギリス憲政を紹介。特に三権分立論は後の政治・社会思想に大きな影響を与えた。
★2 Carlyle(1795-1881);イギリスの評論家,歴史家。物質主義,功利主義に反対し,魂と意志の力とを信じた。
★3 La Mettrie(1709-51);フランスの医学者・哲学者。唯物論的立場から人間を機会とみなす思想を極限まで押し進め,すべての精神現象は神経系の物質的変化に起因するとした。
★4 Stora Nygatan;スウェーデン語で“新しい通り”の意味。
★5 「マタイ福音書」3:10。
★6 siren?ギリシア神話?美しい歌声で近くを通る船人を誘い寄せて難破させたという半女半鳥の海の精。ここの説明に見られるようにスヴェーデンボリは“セイレーン”に独自の意味を持たせている。
★7 Christian Wolff(1679-1754);ライプニッツの推薦でハレ大学の教授となる。孔子を賞賛した演説を無心論の口実にされ,一時追放されるが,フレデリック大王の即位とともに召還された。独創に欠けるが18世紀後半のドイツ哲学界に主流的位置を占めた。
★8 ?ギリシア神話?英雄,善人が死後に住む極楽』神々に愛された人々(英雄など)が死後そこで幸多い生活を営んだ野。
★9 トロイの勇士で,『アイネーイス』の主人公。『アイネーイス』とはウェルギリウス(Velgil)作の叙事詩,アイネイアースがトロイ落城後,ローマを建国する物語。
★10 William Penn(1644-1718);イギリスのクエーカー教徒の指導者。ペンシルヴァニアの開拓者。
★11 ローマ教皇の任命を受け,教皇の顧問・補佐に当たる。教皇の次に位する。
★12 Genevieve(423-500);パリの守護聖女。アッティラが来襲した際に(451),パリ市民を救ったという。
〔研究誌『荒野』第38号,1999年6月〕