著作『啓示された黙示録』は,スヴェーデンボリが1764年に帰国してからすぐに始められた[515]。本書は,大作『黙示録講解』――「黙示録」第19章までの解説の途中で突然に中止され,また出版もされなかった――と同じく「黙示録」の解説であるが,しかしもっと短く,いくぶん異なっている。いまや“最後の審判”は完了し,黙示録の予言は実現しており,スヴェーデンボリは霊界で行なわれたこの大変革を見たのであった。
ここでは『啓示された黙示録』に含まれる内容をほんの少しだけ簡単に述べよう。その序文で著者は,「これまで黙示録を解説しようと試みた者はその中にたくわえられている秘義を知ることができなかった。その文の霊的意義についての知識だけがそれらを明らかにすることができるからである」と主張している。みことばは,ある帝国や王国はなく,天界の事柄を扱っている。「黙示録」は,キリスト教会を汚染し,それらに最後の審判をもたらした悪と誤謬を,象徴的な言葉で,全般的に描いている。霊界で“最後の審判”が完了した後,そこにキリスト教徒の新しい天界が形成された。そしてそこから,新しい教会が地上に降りて来る――新しい天界と一緒に,主だけを承認する教会であり,これが聖なる都,新しいエルサレムである,と彼は言っている。
「黙示録」は主のみによらなければ決して説明できないことは,だれにもわかるであろう。なぜなら,そこのどの言葉も秘義を含み,特別に教えられなければ,そうして啓示されなければ,これは決して知られないからである。このために,主はかたじけなくも私の霊の目を開き,教えてくださった。それゆえ,私が自分自身から,または天使から,ここにある事実を得た,と信じないように,そうではなく,主おひとりから……[516]。
この著作は,ローマカトリック教会の教義の要約,その後に改革派教会の教義の要約をもって始まる。最初から16章までは改革派に,続く2章はローマカトリックに行なわれた審判を描いている。最終の4章は天界での称賛を描いている,新しい天界が創設され,教会が主と婚約したからである。この教会は,足元に月を,頭に12の星の冠をかぶり,太陽を着た“女”として描かれ,“竜”が食い尽くそうとした彼女の“息子”は,霊たちの世界にいる“竜のやから”により出生すると直ちに攻撃される新しい教会の教義を表わしている。“信仰のみ”の“竜”は実際に“最後の審判”で天界から投げ出された,しかし,地上の人間が古い信仰にとどまるかぎり,その一味は依然として霊たちの世界に長らえるのである。
“最後の審判”後の天界と教会の状態は,第21章で取り扱われ,そこには新しいエルサレムの門,土台,壁,街路が描かれている。都の真ん中にあるいのちの木は,主を認識することを意味し,神的人間性を持たれたこの方が,この教会の婚約者であり夫である。
この著作では,スヴェーデンボリは自分の霊的経験についてその語り方を変えている。もはやときたまにしか,霊的経験を『霊界体験記』に書き記さなくなった――最後の記述は1765年4月29日である[517]。彼はいまやメモラビリア“記憶すべき説話”として,この著作の各章に添えて,霊的経験を提示している――続くすべての公刊物はこのやり方に習っている。
『啓示された黙示録』の中のこれらの“記憶すべき説話”は,人間が再生する光景を連続的に描いた劇に似ている。スヴェーデンボリは,最初の説話で,再生していない人間の性格を地獄の洞窟に永遠に閉じ込められた状態として描き,2番目の説話では,天界の光の中に上げられ,天使たちと向かい合って教えられるよう,主に祈っている人間たちを描いている。続く別の説話では,支配しようとの愛に捕らわれた者たちにとって,天界の光からなんらかの恩恵を受けることはどれほど不可能であるかが描かれている。さらに別の記事では,教会の事柄に支配を振うことを愛するといった性質を持つイギリスの聖職者たちに会ったことが描かれている。彼らは天界に上げられ,そこで彼らの以前の君主ジョージⅡ世に会った。君主は彼らに素晴らしい霊的な贈り物を与えたが,しかし,その贈り物は,その主教たちの手の中で消滅してしまった。ちょうど,スヴェーデンボリがまさにこれらの主教たちにこの世にいる間に贈った著作の中に含まれる富のようにである。彼らの教会体系の特質を生き生きと描いている[518]。真理と虚偽,善と悪の間の論争が引き続く説話の中で,また最後の説話では,「知恵の神殿」と「新しいキリスト教の天界」の神聖さが描かれている。
これらの中で注目すべきものは,「黙示録」第11章の中の,荒布を着て預言し,神の御前に立つ二人の証人を解説する間に,スヴェーデンボリ自身が経験したことを描いた“記憶すべき説話”である。獣が彼らと戦い,彼らを殺し,その死体は都の大通りに三日半,捨て置かれた。証人とは,主は天地の神であられ,その人間性は神のものであられた――これが新しい教会の二つの本質的なものである★1――と告白する者たちである,とスヴェーデンボリは言っている。
本章を著述している間に,自分に降りかかった注目すべき経験を,スヴェーデンボリは『霊界体験記』の中では簡単に,『啓示された黙示録』の中では十分に記している[519]――
私は突然ほとんど死にそうな病に襲われた。私の頭全体が強く圧迫された。「ソドムとエジプト」と呼ばれる邪悪なエルサレムから悪疫性の煙が上がった。私は激しい苦痛で死にかかっていた。終わりを予期し,こうして,私は床に三日半,臥していた。私の霊がそのようであり,ここから肉体もそうなった。
そのとき,私の周りに,「見よ,罪の許しのための福音と人間キリストのみを説いた者が私たちの都の街路に死んで横たわっている」と言う声を聞いた。彼らは数人の聖職者に,私が埋葬に値するか尋ねた。彼らは,「否! 見せ物にしておけ!」と言った。彼らは通り過ぎ,戻り,あざけった。
このすべてはほんとうに,黙示録のこの章〔第11章〕を解説している間に,私に起こったのである。
そのとき,あざける者らの荒々しい会話が,とくに次の言葉が聞こえた,「信仰がなくて,どうやって悔い改めが成し遂げられるのか? ……父なる神は御子を遣わして律法の呪いを取り去り,その功績を私たちに転嫁し,こうしてわれわれを神の御前に義とされ,われわれの罪を私たちから放免して下さったという信仰のみ以外に,われわれに何が必要であろうか? ……これは聖書に則っており,理性にも適っていないか?」と。そばに立っていた群衆はこれらの主張に拍手を送った。
私はこれらの主張を聞いたが,ほとんど死ぬばかりに横たわっていたので答えることはできなかった。しかし三日半後,私の霊は回復し,霊のうちに,街路を去って都に入り,答えて言った,「悔い改めてキリストを信じなさい。そうすればあなたがたの罪は赦され,あなたがたは救われるでしょう。そうでなければ,あなたがたは滅びます。主ご自身が,罪を赦されるための悔い改めとご自分を信じるよう,説かれませんでしたか? 主は弟子たちに同じことを説くよう命じられませんでしたか?」
しかし,霊たちは答えた,「何とくだらない! 御子は贖罪をなさらなかったのか? 御父はそれを転嫁なされ,これを信じる者,われわれを義となされたのではなかったのか? こうしてわれわれは恩寵の御霊に導かれている。われわれにどんな罪があるというのか? 死はわれわれにどんな力を持つのか? おお,罪とその悔い改めを説く者よ,あなたにこの福音がわかるか?」
しかしそのとき天界から声が発し,言った,「悔い改めない者の信仰は死んだ信仰でなくて何であろうか? 終わりが来る,自分の目には自分自身の罪を見ず,自己の信仰を正当化し,安心しきっているおまえら悪魔らに終わりが来る!」
それから突然,都の真ん中に深い裂け目ができ,大きく遠く広がり,家は軒を重ねて倒れ,彼らは飲み込まれた……。
彼は,その後の光景も描いている――彼らは,「一体なぜこんなことがわれわれに降りかかったのか? われわれの信仰によって,われわれは汚れなく,純粋で,正しく,清くされたのではなかったか? 自分たちの罪から放免されたはずではなかったか?」と叫びながら,砂地の荒野を走り回っていた。
* * * * *
スヴェーデンボリの献身的な家政婦はロブサームに,ときどき悪霊が許されて彼女の善き主人を苦しめ,その眠りを妨害する様子を感慨深く説明したとき,おそらく上記の出来事に言及していたのであろう。彼女は,しばしば襲って来た試練のさい,主人が痛々しく泣き,大声を上げ,「おお主よ,私を助けてください。主よ,私の神よ,私を見捨てないでください!」と主に自分から去らないよう祈っていた,と言っている。すべて終わってから,使用人たちが,その嘆いた理由を聞いたとき,その主人は,「神をほめたたえましょう,もう終わりました。私のことで心配しないでください。私に起こることは何であれ主により許されているからです。主は,私が耐え切れると思う以上の試練を私に許されません」と言った[520]。
かつてこうした嘆きの後,数日間ベッドに横たわり,起き上がらなかったことがある,と〔家政婦の〕マリアは述べた。この事件は使用人たちに多くの心配を引き起こした。彼らは主人が死んだと思い,ドアをこじあけるか,主人の友達を呼ぼうか,と考えた。ついにカール・ヴェッセル〔マリアの夫〕が窓に行き,主人がまだ生きているのを見て,大いに安堵した,ベッドで寝返りを打ったからである。翌日,スヴェーデンボリが呼び鈴を鳴らしたので,マリアは入って行き,昨日の状態について自分と夫が心配したことを告げた。それ対し,彼は元気な顔つきで,「大丈夫,何も心配はいらない」と言った。みんなはこれ以上何も尋ねなかった。
“記憶すべき説話”について,スヴェーデンボリ自身の言葉を述べるのは興味深いであろう。『啓示された黙示録』をパリにいるスウェーデン大使に贈ったとき,「私は霊界での交際をいろいろな“記憶すべき説話”として挿入しました。それらを本文から星印で分離させ,各章の説明の終わりに置きました。それら個々の項目には注目すべき事柄が含まれているので,おそらく読者はここを最初に読もうとするでしょう」と手紙に書いている(アムステルダム,1766年4月)。
彼の友ヴォン-ヘプケンは,最初,このメモラビリアは彼の教義を受け入れる妨げとなると考え,それで――
私はかつて彼に,「なぜこれらの“記憶すべき説話”を書いて出版したのか,それらはあなたの教義に多くのあざけりを投げ掛けると思える,そうしない方が理性的だし,それらを自分だけのものにしておいて,世に公表しない方があなたにとって最善ではないのか?」と尋ねたことがある。しかし彼の答えは――「これらを公表することは主から命じられています。この記事ゆえに私をあざける者は,私を誤解しています」であった。「なぜなら,どうして年老いたこの私が,作りごと,嘘っぱち,とのあざけりに身をさらす必要がありましょう」とも言った[521]。
原注・訳注
〔原注〕
515 『Apocalypsis Revelata, in qua deteguntur arcana quae ibi praedicta sunt…』(啓示された黙示録,そこに予言された秘義が明らかにされる……)アムステルダム,1766年。
516 『啓示された黙示録』序文。
517 『霊界体験記』6110:73。
518 『啓示された黙示録』153番と続く“記憶すべき説話”。他の参考文献省略。
519 『啓示された黙示録』531番;『霊界体験記』6108番(1764年12月3日から1765年4月29日の間に書かれている)。
520 『ターフェル』Ⅰ,25,34ページ。
512 『ターフェル』Ⅱ,241-2,239-40,416ページ;Ⅰ-66ページ。
〔訳注〕
★1 ここは著者の著述が不足している。『啓示された黙示録』490番に詳しく述べられているが,それによれば,“証人”である“新しい教会の二つの本質的なもの”とは「主は天地の神であられ,その人間性は神のものであられた,と告白し,認める者たち」と,もう一つ「十戒の教えにしたがった生活によって主と連結する者たち」である。
〔研究誌『荒野』 第49号,2000年4月〕