38 True Marriage Love

第38章 真の結婚愛

スヴェーデンボリがオランダで出版しようとした新しい著作は結婚を主題として扱っていた。彼の神学著作はすべて神の国の設立に関わっており,それらのどれもがこの目的のために特別な役割を演じているように思える。『天界の秘義』は,その内意を考えるとき,神のみことばの全部が神の御国について言及していることを,労を惜しまない詳細な釈義をもって示した。『天界と地獄』は,死後の生活のありさまを明らかにした。『神の愛と知恵』と『神の摂理』は,人間を天界の御国へ導く指標の性質を定め,一方,『四つの教え』と『啓示された黙示録』は,特に地上に主の御国を設立されようとされていた新しい教会の性格を描いた。これらの著作にスヴェーデンボリは今やもう一つ加えようとしていた。彼はその著作の中で天界のゴールに達した者を待っている祝福された報い――そこから天界の永遠の喜びと幸福がもたらされる愛――真の結婚愛――を描いた。彼は,その主題に新しい特有の価値を与え,真の結婚愛の性質を論じるその著作を書くために,一般的な愛の概念から隔てた新しい言葉を使用し,それを“結婚愛(Conjugial Love)”と呼んだ[595]。

スヴェーデンボリがこの著作で第一に論じていることは結婚の道徳的な面ではない。そこでは,他のどこででもあるが,彼の関心は枝葉でなくむしろ根幹にあった。彼は,真の結婚愛の起源と性質を詳細に考究し,その愛を,源泉から甘い水がわき出るように,そこからすべての喜びがわき出る天界と地上の根源的な愛である,と言った。現今この愛は世の中にまれなので,その性質を天使たちの唇から学ばなければならない,彼らだけがその中にいるからである[596]。この愛は,その起源が霊的で神的なものであるので,他のあらゆる人間の愛よりも,神聖で,純粋で,清いものである。これは主ご自身の中の神的な愛と神的な知恵の結合から生じている。最古代人にとって,これはまさに“愛の中の愛”であった。結婚がもはや永遠のものと見なされなくなったので,真の結婚愛のほんの残りのものしか地上に残されていない。もし,結婚の中に永遠の思いがなくなったなら,その主要な防壁は取り払われ,その結果,真の結婚愛は,地上から滅びる危険にさらされてしまう。

最終的な復活の後でなければ,霊魂たちが出会うことがないと主張する神学者たちから,天界での結婚の概念に対する最大の障害が生じている。もし,死後に生活が存続しないなら,もちろん,そこに結婚の存続もありえない。スヴェーデンボリの概念は,伝統的な神学に切り込み,深い裂け目をつくった。生活は死後も以前のように続く,と彼は言った。これは詩人と恋人たちの本能的な確信と一致している,恋人たちは心の内に,自分たちの愛が死を乗り越え,再び生き,再び人間の形で愛し合うことを確信している。

しかし,伝統的な聖職者は,天界に結婚はない,と宣言し,その証明のために,「マタイ福音書」22章30節――「復活の時には,彼らはめとることも,とつぐこともしない」――を引用し,これはイエスの教えであったとしている。

そうではない,とスヴェーデンボリは言う。この聖書の言葉は、真の結婚についてではなく,キリストのことばを聞いていた者たちの心の中にはびこっている堕落した考えについて言っている。霊的に見れば,主のことばは,復活,すなわち人間の心の中の善と真理の結合に関連して述べられている。“このこと”が起こらなければ,人間が地上で生きている間に,これはその人間が死んだ後には決して起こらない[597]。霊魂は来世ですら肉体に包まれており,そして性は肉体と同じくその霊魂を特徴づけている。「性への愛は,すべての愛のうち最も普遍的なものあり,人間の霊魂そのものの中へ創造から植え付けられていて,ここから人間全体の本質が導かれる」[598]。

彼は男性と女性の間の本質的な違いを論じている。男性は,知ること,理解すること,賢くなることへ生来的に傾いているが,一方,女性はその知恵を愛することへ傾いている。男性は,最内部は愛であり,外面的には知恵の形に形作られており,一方,女性は,最内部は男性の知恵であり,外面的に愛の形を取る。それゆえ,創造から,それぞれの性には一つになろうとする結合への願望が植え付けられている。これは「創世記」の中で神によって男の肋骨の一つを取り出して,女に形作ったことにより象徴されている。

愛はどの二人の人物にあっても同じではない。人類のだれにも植え付けられてきたこの愛が「いつ,神からの生命と一緒」であったか知らないなら,この愛の性質の無限の変化を,だれも見ることはできない。

この愛の中へすべての喜びが最初から最後まで集められている理由は,その役立ちの高い卓越性のためである。それは人類の,そしてそこから天使たちの天界の繁殖である。そしてこの役立ちが創造の主要な目的であったので,創造主であられる主は,すべての至福,満足,喜び,楽しみと快楽を人間に授与できようにと,この愛の中にそれらを集められていることが結論される[599]。

しかし,どんな愛も,また結婚愛でも,完全に純粋であることは人間にとっても,天使にとっても不可能である。それにもかかわらず,主がおもに考慮されるものは意志の強さであるから,だれかがその愛を大切にし,その中に自分を保てば保つほど,それだけその愛は彼の中で純粋で神聖なものとなる。だれもが肉体的に,感覚的に生まれ,その後,自然的に,また継続して理性的になり,そして彼の進展が止まらないなら霊的にすらなる[600]。

たとえ結婚愛は地上に失われてしまったとはいえ,スヴェーデンボリは,それは霊的で真のキリスト教会となるべき新しい教会の中で回復される,と約束している。彼は手段を論じている,それによって人類の間に新しい教会が再建されるのである。その反対のものは,まさに地獄の炎の湖として避けるべきである。「姦淫愛とその狂気の喜び」はこの注目すべき本の第二部の話題となっている。姦淫は地獄からのものであり,真っ向から貞潔に,結婚の天界的な愛に対立するものである。その堕落したさまざまな形態が,スヴェーデンボリが解剖学の著作の中で繊維の病気を分析したときに示したのと同じ識別力と洞察力をもって,ここで分析されている。「狂気の喜び」の中にいろいろな段階の不貞が含まれている。しかし,だれも“最初に”純粋な結婚愛の性格を理解することなしに,その対立する地獄的な性質を知性的に理解することはできない,と彼は述べている。姦淫が,結婚愛を破壊する正反対のものであるのに対し,〔未婚者どうしの〕密通は,両親から由来する自然的な人間の悪であり,これは真の人間的な愛に変えられるかもしれないものである。

〔姦淫愛も結婚愛も〕それぞれの愛が終結する究極の面は同じであるので,(それゆえ)末端では,姦淫からの愛撫も結婚愛からの愛撫も同じに感じられるが,それでも内部ではそれらはまったく似ていない……。姦淫愛の喜びは肉から始まり,霊にあっても肉のものである。しかし,結婚愛の喜びは霊の中から始まり,肉にあっても霊のものである……。姦淫愛の喜びが狂気の楽しみである理由は,自然的な人間はだれもその愛の中におり,また自然的な人間は霊的な事柄においては狂っているからである。彼らは霊的な事柄に対立しており,それゆえ,自然的な,感覚的な,肉体的な喜びだけを心に抱く……。性への愛は,そこから結婚愛と姦淫愛の両方が導き出せる泉のようなものである……[601]。

人の純粋さについて高尚な理想を鼓舞しながらも,それでも,その著者は欲望が人間により甘やかされている事実を認めており,それらの悪の程度を論じている。ここでは,他のあらゆるところのように,すべての行動を判断すべき基準は,動機,意図,目的である,なぜなら,そこに神の慈悲が働くからである,というスヴェーデンボリの特徴的な教えが見られる。男が結婚相手でない女性と性的関係を持つことは常に悪であるが,しかしその悪は,真の結婚愛を求めることを失わせるに比例して大きなものとなる。主は人間を救い出すことができる善の残りのものを見出だし,据えられるためにその人間の無秩序な生活状態に近づき,下られる――そうしたものが主の救う力である。スヴェーデンボリが両性の間の誤った関係を検討する中で与えたこの望みは,結婚での霊的で永遠なるものへの愛の検査に合格できるかどうかによる。霊の結婚は天界で見られる純粋な唯一つの結婚である。真のキリスト教徒の教会には,ただ再生された霊魂だけが,すなわち,利己的で世俗的な愛から解放され,神への最高の愛とお互いへ相互愛を吹き込まれた霊魂だけが存在する[602]。

結婚した者どうしは,死後に,たいてい出会い,そしてこの世でのように再び一緒に生活する。しかし,内的な性質が同じでない者たちは,結局は別れ,そして適した相手が与えられる。ある者が自分の外側の自己を,彼の偽善的な,誠意のない外側を脱ぎ捨てたとき,その者のほんとうの性質が見られ,そして彼の最も内側の欲望の生活といったものに入っていった。これは死後,だれにでも起こることである。

しかし,まず第一に,永遠の幸福とは何か? 天界の喜びを構成するものについて,その考えは広く分岐している。ある者はそれを他人との束縛されずに限りなく続く会話から成り立つと信じる。ある者はいつまでも続く休息を,またある者はアブラハム,ヤコブ,イサクと一緒の,決して終わらないで繰り返す祝宴を望む。ある者は天界をパラダイスとして描き,また他の者は,教会で行なわれる永久の安息日を期待する。その者が想像し,あこがれる種類の天界が何であろうと,来世では,だれもがそれを経験することが許される。その経験によって,霊たちは,天界は場所ではなくて,心の状態であること,そしてその幸福は,この世でと同じに,自分の仕事での役割を忠実に果たすことから成り立っていることを示される。あらゆる人の心の中に,他人のために何かをしたい,「役立ちを果たしたい」という強い衝動がある。この衝動または願望が行動となるとき,彼は幸福であり,実に,自分の天界にいるのである。そのとき,彼はパラダイスで生きている,そうして,彼の霊的なからだは養われ,彼は天界の「役立ちの王国」で「キリストとともに統治する」のである[603]。

結婚愛の崇高な性質は,その本の章の間に挿入された「記憶すべき説話」で描かれており,そのところで,スヴェーデンボリは一組の天使との会話を物語っている[604]。

ある時,私は結婚愛について瞑想していた。すると見よ! 離れたところに二人の裸の幼児が現れた。手にかごを持ち。その周囲にキジバトが飛んでいた。近づいて見ると,彼らは花環で美しく飾られていた。花の冠が彼らの頭を飾り,たくさんのすみれ色のユリやバラが彼らの胸を飾って,肩から腰へ斜めに掛かっていた。彼ら二人の周りには,オリーブの小さな葉をちりばめて編まれた共通の帯があるかのようだった。

しかし,彼らが近づいたとき,彼らは幼児のようにも,また裸のようにも現れないで,輝く絹の外套と内衣を着て,最も美しい花で飾られた彼らの青春時代の二人の人物のようであった。そして彼らが私に近づいた時,天界から彼らを通して,春の時に庭や野原から立ち上ぼるような芳香のある香りを伴った春の暖かさが吹いてきた。

彼らは天界からやって来た夫婦であり,常に人生の盛りの中で永遠に一緒に喜びに溢れて生活してきていた。そうした夫婦の家庭を訪問した後,スヴェーデンボリは言っている――

妻たちは,その時,若い処女に見えたが,この世では衰弱した老女であった。また彼らの夫たちは,そのとき若い盛りの者に見えたが,この世ではよぼよぼの老人であった。そして彼らのみんなが,主によって彼らの最盛期を回復したのである,なぜなら,彼らはお互いに愛し合い,宗教的な動機から姦淫を途方もない悪として避けたからである。

姦淫の忌まわしい喜びを拒否しないなら,結婚愛の祝福された喜びをだれも知らない。そして主によって賢明でないなら,これらの喜びを,だれも拒否できない。そして役立ちへの愛から役立ちを果たさないなら,だれも主によって賢明にはならない。

 「私は,以下のページ,それと章に付加した“記憶すべき説話”を読む多くの者が,それらは想像の産物であると信じるであろうことに気づいている。しかし,それらは虚構ではなく,ほんとうに行なわれ,見られたものであること,そして私がそれらを見たのは心が眠っているような状態ではなく,完全に目覚めている状態であったことを厳かに宣言する」と彼は“序文”で述べている。

* * * * *

結婚愛についての著作はバイエル博士に大いなる満足を与えた。彼は,スヴェーデンボリに,ほとんど理解されていない主題である結婚について研究をしてほしいとの自分の熱烈な願いを表現してから,たった数か月で,尊ぶべき著書を知ったのであった[605]。

キリスト教徒の心は,この主題について,18世紀の文明化した社会で常に彼らに示されていた,結婚への冒涜の目に余る例によって,混乱していた。ルイ十四世の下のフランスは,国王の情婦によって事実上統治されるようになってしまい,彼女の虚栄と底意地の悪さがその国を決定的に崩壊させる一因となった,家庭でいえば貞淑といううるわしさの破綻である。ルイ王たち★1の下の腐敗したフランス宮廷の生活は,イギリスのジョージ王たち★2を模範として受け入れたものであった,そして他のヨーロッパの国々はその先例に従った。女性の地位は低下し,手綱のはずされた売春は時代の風潮であった。

スヴェーデンボリの主張「真の結婚愛のほんの残りのものだけが残っている」を立証することは困難ではなかった。しかし,人々は「それが保存されなければ,地上の教会は存在することができない」という彼に同意するであろうか?

1768年の春,スヴェーデンボリはオランダへ行く途中でイェーテボリに立ち止まったようである。2年前のイギリスからの帰りの航海で,そこの友に会おうと固く意図していた,それでバイエル博士に委託して,自分の馬車を捨てている――

私はここに全巻揃いの『天界の秘義』を添えて送ります……。最初それらをあなたのところへ自分自身で持っていこうと思っていましたが,直接にストックホルムへ行く機会が与えられましたので,イェーテボリへの旅行について考えを変えました……。ストックホルムへ行くだれかに,私の旅行馬車を使ってもらえたら,または,だれかそれを買ってくれるなら,その馬車を残しておくでしょう(ロンドン,1766年8月22日)[605a] 。

意図した訪問はそのとき変更されたので,イェーテボリに立ち寄りたいとの彼の意図は次の旅行で実行されたようである,それでもこのことを証明する証拠は乏しい。アムステルダムから,バイエル博士への最初の手紙の中で,司教,首席司祭,市長ペターソン★3,ローセン博士に挨拶を送っているが,これはもちろん,彼が最近,彼らによって歓迎されたことからそうしたのであろう。さらに,スヴェーデンボリの超自然的な能力を説明する二つの逸話が伝えられている。これは彼がイェーテボリを訪れ,初めてバイエルとローセンに会った日付よりも少し後の時期のようである。また彼は手紙の中で,「イェーテボリの友たち」に,自分の最近の著作を入手してほしい,と述べている(1766年10月1日)[606]。

イェーテボリの友たちの中に,ヴェングレンとハンメルベリの議員であり,ニコラス・サールグレンの娘と結婚した著名な市民である工場主のアウグストゥス・アルストレーマー〔1735-1773〕がいた。9年前,ストックホルムの大火を見た時★4,スヴェーデンボリはそのサールグレンの家で食事をしていたのであった。アウグストゥスは,スヴェーデンボリの家族の古くからの友人であり,絹や羊毛品の紡績機械をスウェーデンに導入したゆえに「スウェーデンの産業の父」として知られるヨナス・アルストレーマーの息子であった。アウグストゥス・アルストレーマーは,知性的で,自由を愛する人物であり,エマヌエル・スヴェーデンボリの著作から偉大な光を得たと自認している。その監査官は,彼を「我らの救い主を信じる者」の一人に数えている[607]。

このように,「サールグレンの家」に集まって,新しい教義を学ぶための団体が,1768年,イェーテボリに形成されたと見なされてきた。この結論が乏しい手近な資料から下すことができたにしろ、できなかったにしろ,スヴェーデンボリ自身がそうした団体の一員であったと確実に見なせる根拠はない[608]。

しかし,新しい教義が根を張る最初の兆候が現われ始めたのはイェーテボリであった。このことをスヴェーデンボリは予期しないでもなかったようである。彼は数年前に,『霊界体験記』の中で,霊界でのスウェーデンの国の善良な人々は――すなわち,肉体のいのちの中で一律に誠実であった者たち――イェーテボリに似た都市に集まっている,と記している[609]。この西方の海岸の商業と製造業の盛んな都市は,首都よりも,狭量な国内の地方第一主義の影響を受けることなく,繁栄する港に常にある場合のように,他の国々の心と習慣との接触から,より広範な影響を受け,開けていた。

イェーテボリにいる間,スヴェーデンボリはしばしば食事に招待され,そうした機会の一つから,広大な衣類製造所の所有者であり工場主であるボランダーの孫娘によって語られた逸話が伝えられている。たくさんの客が集まった食事会の合間に,スヴェーデンボリは突然と招待主に向かって鋭く言った――

「ご主人,工場に行ったほうがよい!」

ボランダー氏は,スヴェーデンボリが自分に話しかけた声の調子に非常に驚いた。それは礼儀正しいものでなかったが,それでも席から立ち上がり,知らされたようにすぐに工場に行った。そこに着いてみると,大きな布切れが炉のそばに落ちていて,燃え出していた。一瞬でも遅れていたなら,彼は自分の財産が炎に包まれていたのを見出だしたであろう。

危険物を片付けた後,ボランダー氏は,仲間のところに戻り,その客人に感謝し,起こったことを告げた。スヴェーデンボリは微笑み,「私はその危険を見て,一刻も猶予がならなかったので,あんなにも突然に話しかけたのです」と語った[610]。

ローセン博士の孫息子もまた,ある出来事を語っている。その物語はあらゆる点から見てほんとうであろう。

スヴェーデンボリはある夕方,数人の仲間とローセン博士の家の集まりに出席した。ローセン博士の妻もまた,そこの部屋にいて,編み物をして,もちろん,ラテン語でなされる会話は何もわからなかった。

ある本についての議論が始まったが,それはその場になかった。ローセンはその本が自分の蔵書にないことを残念がった。

「お持ちですよ」とスヴェーデンボリは言った,「ここではなく,屋根裏部屋にあります」。彼は,どの棚の,どの場所にその本があるか正確に述べた。

ローセン博士は,どのようにしてスヴェーデンボリが,屋根裏部屋に,その古い本があるのを知ることができたのか非常に驚いた――しかし,それでもその言葉を無視したくなかったので――妻に上がっていってそれを探すよう求めた。ローセン夫人は,明かりを取り,上の階へ上がった。降りてきたとき,その本を手にしていた[611]。




原注・訳注

〔原注〕
595 注612を参照。〔次章の原注である,『結婚愛』の原題名などが記されている〕
596 『結婚愛』229,69番。
597 『結婚愛』27-41番。
598 『結婚愛』46番。
599 『結婚愛』57,68,71番。
600 『結婚愛』134番。
601 『結婚愛』439-445番。
602 『結婚愛』81,423番以降。
603 『結婚愛』1-26番。
604 『結婚愛』137番。
605 『ターフェル』Ⅱ,238。
605a 『ターフェル』Ⅱ,244。
606 『ターフェル』Ⅱ,267。
607 『ニュチャーチライフ』1916年,139-150ページ;『ターフェル』Ⅱ,378-9。
608 他の参考資料省略。『ニュチャーチライフ』1910年,223ページ。
609 『霊界体験記』5036番。
610 『ターフェル』Ⅱ,724。
611 『ニュチャーチライフ』1884年,46ページ。

〔訳注〕
★1 ブルボン家のルイ14世(1610-43)からルイ17世(1793-95)。
★2 ハノーヴァー家のジョージ1世(1714-27) からジョージ3世(1760-1820)。
★3 第35章「初期の信者たち」の訳注★7参照。
★4 第31章「スウェーデンでの驚き」参照。


〔研究誌『荒野』第54号,2000年9月〕